かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

経験者から誘われて始めたとしても、自分なりに続ける動機が必要になる

 

始まりのきっかけはくれるのだが…

ゲームでも色んな遊びでも、経験者と初心者の感じ方はそれぞれ違う。例えば自分が好きな趣味のスポーツがあるとするだろう。友人を熱心に誘い、ついには一緒にプレイする。とても熱心にプレイ方法を教えるし、上達のコツも、お手本も生き生きとやってみせるだろう。だが初心者と分かり合えるのだろうか。

 

初めのうちは初心者の側も楽しい。優秀なコーチが教えてくれる喜びと、上達した人がのびのびとプレイしている姿を見てあこがれもする。もっとうまくなりたいという気持ちが湧いてくれば自分ひとりでも熱心に練習するようになる。

 

けれども経験者と初心者の差は意外と埋まりにくい。経験者が5年とか年数を積み重ねていて、しかもお金がかかるものならば膨大な差が生まれてしまう。もちろん後から新規で入った新人には”おさがり”として金額の差がいくらか埋まることもある。それでも難しいものは難しい。

 

最終的に本人の”モノ”になるかは自発的な動機をもてるかどうか

 経験者から誘われて始めたとしても、その埋まらない差に絶望してやる気をなくしてしまうことはよくある。そんなときに大事なことは、経験者から誘われたことをいったん忘れることだと思う。いったん自分が始めた動機をもう一度整理する必要がある。まずは誘われたときの気持ちを思い出す。いっしょにやりたいなという気持ちは正しいだろう。だがもう一つ、自分の内側にある自発的な動機をちゃんと見つけ出すことが大切だ。

 

モチベーション3.0という本にも書いてあるが、ものごとを続けるための動機のうちもっとも強力なものは外発的なものではなく内発的なものだ。自分が自分の意志でやり続けたいと思う気持ち。それこそが一番強力なのだ。

 

だからたとえ誘われて始めたものでも最終的には自分がたとえ誘われていなかったとしても、紹介してくれた人がいなかったとしても、自分が好きでやっていることなんだと自覚する必要がある。もし嫌いなことならば長続きはしない。自分の中に理由がないことは時間の無駄になってしまう。それが嫌ならば自分の内側をなるべく早く探さない限り、ずっともやもやとした気持ちや嫉妬、苛立ちに悩まされることになる。

 

大事なのは自分のペースで、自分の好きな気持ちや自分のスペースを守って続けることだ。確かに誘ってくれた人には感謝の気持ちもあるだろうし、本人からのありがたいご指導があるかもしれないが、結局のところ自分の領分に入らせすぎてはいけない。鑑賞され続けるとモチベーションを失ってしまうのだ。外発的な動機に内発的な気持ちを阻害されてしまう。

 

これは誘う側も肝に銘じなければならない。誘った側が初心者に対して過剰な指導を行えば必ずやる気をそいでしまうことを忘れてはいけない。最初の内は初心者が簡単につまずかないように手助けすることでぐっと続けられる可能性は増える。

 

だが、だんだんと成長してくればあとは見守るしかない。下手な手出しは無用だ。あたかも巣立ちのように邪魔してはいけない。もちろん怪我する可能性もあるが、それもまた本人の責任に任せるしかない。

 

おわりに

大人になるにつれて自然と遊びの選択肢や交流する人が増える。誘われて仕方なく始めたものがいつしか誘われた人よりもうまくなったり、意外と思ったよりもハマることもある。それは幸せなことだが、その逆もありうる。

 

誘われる側もあるし、誘った側のこともある。自分は人を誘うのが下手だ。あまり上手くできたためしがない。けれども自然と続いている遊び仲間との縁について考えてみると面白い。結局全員がそれぞれ自分が続ける理由を持っているから自然と長続きするのだ。誰かがやめたからやめるわけでもなく、何も理由がなくても一人でも続ける人はいる。何年も一人で続けられるのは間違いなく自分がやりたいからやっている。ただそれだけなのだ。

 

きっかけが自分で選んだことじゃなくても、それでも続けるにはきっと自分なりに続ける理由が必要で、それが一番難しいことなんだと思う。