かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

自分の感情を否定すると地獄を見る。自分との約束を設けて自分を大切にしよう。

 

症状などはわかるが、対策は?

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事務課リー @zimkalee2016-09-22 14:19:04

2年ほど前に購読した「自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術」はためになる一冊だった。経験則から言って、きつい訓練に弱音を吐く隊員は訓練を乗り切る可能性か高く、愚痴一つこぼさない隊員は途中で急に折れるそうだ。読後以来、仕事の愚痴や弱音は吐くようにして、心を整理している。

 

上記エントリについてずっと書きたかったので、書く。正直に言うと上記の内容を把握していたとしても心は折れる。すごく折れる。なぜなら今後どのように落ち込んでいくのか、今どの状況なのかがわかったとしても回復する方法や回避策に乏しいからだ。そもそも何故回避できないのかという罠についても語られていない。これだけじゃ不十分なのだ。

 

たしかにいいことが書いてある。愚痴を言うことで周囲への助けを呼ぶことにもなるかもしれない。自分の心を守るためにむしろ積極的に愚痴を言おう、そういう風に思えるかもしれない。

 

他にも大切なことが書かれているので引用する。

本来のその人なら周囲に助けを求めることもできるが、この状態になるとイライラや猜疑心が非常に強くなり、簡単に援助も求められなくなる。いつもの彼とは違う状態になってしまうのだ。私はこれを「別人化」と呼んでいる。 

 この現象はTwitterの漫画でうまく表現されている。これはまさしく別人化そのものだ。

 

どうやったら自分自身を責め立てるような心理状態から抜け出せるだろうか。どうして自分自身を責め立てるような思考がどんどん生まれてしまうのだろうか。

 

そもそもの原因はなんだろうか

さて、この塗りつぶしている思考はどこからやってきたのだろうか。この「親に心配かけない」「こんなの甘え」「同期・先輩はもっと忙しい」「もっとつらい人はたくさんいる」…これらは全て正論だ。きっと正しい論理だろう。

 

ではなぜ正しい論理が出てきたのか。そして何故塗りつぶすために、出てきたのか。どうしてわざわざでてきたのか。その正論を自分がなぜ利用することになってしまったのか

 

答えは、自分の心を否定するためだ。心理学的に言うと否認であろう。自分の心が「もう無理」「できない」と言ってることを無視するため。抑え込むためだ。自分に鞭打つために利用しているのかもしれない。

 

それはおそらく”撤退ライン”がない、際限のない戦いをしているからだと思う。際限がない、いつまでも続くマラソンをしているならば脱落できない。レールの上を走っているならば脱落した後に恐怖を感じる。

 

日本の教育なんかは特にその傾向が強いのかもしれない。一度でも間違えばその責任を過分に求められる。出る杭は打たれると言うが、逃げ出した杭をしつこく追いかけたり打ち直したりするのもお家芸かもしれない。

 

判断をしない撤退ラインを作り防衛する

精神的に追い詰められた時にはすでに正常な判断を失い、永遠に走り続けることを義務化されているように感じる。もしくは”サバイバルモード”となり、逃げるのではなく立ち向かい、今を生きるのでやっと…立ってるだけで精一杯という状況になることも少なくない。

 

そうなる前に”撤退ライン”を決めておくことだ。撤退ラインは必ず守り、そして判断を一切せずに無慈悲に行うことを絶対に守ることだ。この撤退ラインを踏み越えて「明日になればいったん落ち着くから…」などと先延ばしにしてはいけない。この撤退ラインに当てはまる条件になったら考えずに実行することだ。

 

撤退ラインは例えば趣味で月2回やっていることができなくなったら”辞める”のようなものだ。このように条件と実行することをきちんと決めておき、実際にそうなったら考えずに実行することだ。要は昔の自分との約束を守ること。ただそれだけである。他人の無茶な要求と過去の自分の真摯な願いとどちらを優先するか。自分の身を守るにはきちんと覚悟を決めなければならない。

 

もちろん撤退ラインはいくつあってもいいが、必ず条件に合致したら実行すること。例えば第一次撤退ラインは「お気に入りのお店に月二回通えなくなったら、お休みをする」など。第二次撤退ラインは「趣味で何かを作っているが半年以上疲れて何も作れなかったら、仕事を辞める」などだ。なるべく具体的で測定可能だといざというときに役に立つはずだと思う。

 

おわりに

人のためにがんばりすぎる。みんなが苦しいから、一人だけ抜け出せない。そんな気持ちばかり抱いているとつい自分のことを後回しにしてしまう。けれどそんな時、”過去の自分を大切にする”というのは素敵なことのように思う。

 

過去の自分との約束を守るというのは、言ってしまえば未来や将来にもきっと役立つはずだ。なぜなら例えば現在、将来ああなりたいな、こうしたいなという願望を未来において叶えられるようになるからだ。過去の自分との約束を守ることは今の自分にとっても、未来の自分にとっても素晴らしくよいことのように思える。

 

他人の予定とか要求に振り回されてしまう人はぜひ過去の自分を大切にしてほしい。今の自分というのはあまり意識されないものだけれど、過去の自分とか心の中の子どもの自分などわりと”客観視できる自分”を大切にすることだ。

 

今の自分とは”今”だけで生きているのではなく、過去の自分がこうなりたいとかこうしたいという願いなどで構成されているのだと思う。だからこそ未来の自分の為にも過去の自分を大切にすること。こうした考えはわりと素敵じゃないだろうか。