かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

頭がいいという大雑把な言葉よりも大切なモノ

 

頭の良さよりも大事なもの

学生の頃から思っていたけれど、頭がいいとか天才とかはテストの点がいいとか問題を解くのが早い、難しい問題が解けるといったことに使われていたと思う。それについて自分はなんだか違うはずだと思っていた。本当に頭がいいというのは要領の良さとか将棋が上手いとか戦略面、戦術面などでの熟達だと思っていた。

 

昔から暗記がとても苦手で今じゃもっと苦手になってしまい思い出すのも一苦労なのだけれど、仕事上ではあまり問題にならないことも多い。足りない記憶は検索したり、スケジュールの抜け漏れは管理するものがあればいい。

 

自分の頭で覚え続けなければならない知識はそこまで多くなく、どこを探せばあるか、何を使えばいいかを知っていればだいたいは解決できるように思う。

 

学校の問題は自分たった一人で頑張るだけの能力を測るだけだ。外部の補助的なものもなく、本当に何もない状態で頑張るだけのテスト。だけれど現実は周りとの協力だとか検索、読書などを駆使しないとまったく戦えないように思う。

 

それに大切なのは何をやるのか、やらないか?などの戦略的な部分を決めることだと思う。これを間違うとすべてが無駄になるほどの重要さだ。永遠と素晴らしい能力をたった一人で間違った方向に進み続けては救われない。

 

そう考えると自分の中での頭がいいとか天才だとかそういったことはあまり重要ではなくなり、優れたリーダーや良いリーダーのほうがより重要だと感じるようになってきた。的確に情報を集めて判断し、決断できるようになること。これは自分の人生にも当てはまる。

 

学生のうちはもしかすると決断とか判断をさせてもらえないんじゃないかと思う。その力は部活だとか違ったところで養うことが求められているのかもしれない。だが、実際には社会で必要とされている能力なのだから、そういった教育と評価も盛り込んでやらないといけないんじゃないだろうか。

 

現実ではただひたすら問題に取り組むのではなく、問題そのものが正しいのか、解くべきなのか、問題の問題はなにか…などたくさんのことを正しく判断する必要がある。その能力は簡単には身につかず、方法論も乏しく、教育もなかなか難しい。けれども天才や頭の良さと違い後天的に身に着けるものなんじゃないかと思う。

 

だからか天才だとか頭の良さといったものへの憧れよりも、より自分が現実的に努力して身に着けられる物事を判断したりする力の方に憧れるようになった。ベストセラーなんかに創業者とかの本があったりするのは大人になってくるとこういった情報が欲しくなるからなのかと少し腑に落ちたような気もする。