かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

いそぐな、いそぐなよ

 

待ってはくれない時間

なんとなく忙しい一日が終わり、家に帰ってほっと一息。

ばたばたしちゃって疲れるなあと思っていて、ふと

 

いそぐな、いそぐなよ

 

そんな俳句があったなあと思い出した。

リズム感がよくて好きな俳句だったが上の句が思い出せない。

 

これはどうやら加藤楸邨の俳句らしく、

 

木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ

 

こういう俳句だそうだ。ああ、今の季節にぴったりだなと思う。

自分の今の気持ちにもちょっと重ね合わせたくなる。

そろそろ師走、一年も終わるということで徐々に周囲も慌ただしくなる。

今年最後にやっておくことはないか、今年中にやらなきゃいけないことは。

 

そうしてばたばたしていると木の葉は気づかず散ってゆく。

ああ、どうか散らないでくれ、時間よ過ぎないでくれ。そう思っても散ってゆく。

そして同時に周囲の人にも同じように思う。そんなに急がなくたっていいじゃないかと。

待っていたって時間は過ぎてゆく。

 

すぐには役に立たない勉強

しかし加藤楸邨なんてどこで覚えたのだろう。

きっと学校のなにかのテストで覚えたに違いない。

でも特定することはできない。必死になって覚えた記憶もない。もう忘れてしまっている。

でも俳句の良さと名前だけ覚えているというのはなんだかいいなあと思う。

 

昔から国語はそこそこ好きだった。それは勉強が好きだからではない。

成績はあまりよくなかったこともある。

でも国語の教科書は楽しかったし、俳句自体もなかなかおもしろいと思っていた。

 

担当してくれた国語の先生はなんだかとぼけた感じで人気があった。

そんなに固く勉強する必要はないんだと笑って教えていた。

どうせテストの役にしか立たない、人生で国語が好きなやつなんて限られてるんだ。

この中で何人がいったい教えたことを覚えているやら?なんて明るく笑い飛ばしていた。

 

メタなことを言うなあと思っていたけれど、そういう軽さが欲しかった。

学生はいっつも歯向かってばっかりだ。こんなもの社会の役に立つものか。

どこで使うんだこんなもの、そんな感じで勉強に対して反抗期むき出しだった。

それでも受験とかなんやらで自分の人生に必要だからと言い聞かせる。

 

そこを上手にガス抜きして学生の味方だぞと立ち回っていたんだろうなと今は思う。

そして、その上で意外と俳句とかたくさん解釈があっていいだろう?と教える。

歯向かう気持ちをその通りとわかってくれて、角が取れたあとはすっと入ってくる。

もしかすると他の教科でも反抗期で大切なことを見過ごしてしまっていたかもしれない。

 

でも国語の俳句のことは不思議と今でも好きだ。教えてくれた先生、ありがとう。

社会人になって自然と勉強まがいのことをして調べて好きになって。

テスト勉強より大切なことを教えてくれたおかげで、こうして記事も書けた。

まあ最後にうまいこと言うなら、勉強も目先ばかりでいそぐなよということか。

学生時代に過ごす大切な時間もすぐに散りゆくものだから。