10000文字書くスピードは?
10000文字書くまでどの程度かかるのか、測ってみたくなった。定点観測することで文章を書くスピード、自分の頭の中の整理がどの程度早くなるのか興味があったからだ。
絵描きさんがTwitterでやってる5分お絵かきとかそういう類のものである。
もちろんただ意味のない羅列の10000文字に価値はないし、文章量に比例して中身がよくなることはない。ただ自分の実力の一つの指標として測ってみたいのだ。
個人的にはこれをプロトタイプ、試作品をどれだけ早く作れるか、デモ版をどれだけ早く作り、製品版へのブラッシュアップの時間を取れるか。このスピードの計測だと思っている。
ただの10000文字の下書き、主張のざっくばらんな羅列をどれだけ早くできるか。アイデアをたくさん出す、発想を素早くできるかを図りたいのだ。
そのあとは純粋な編集の腕となると思う。つまり自分の中の文章を書く、アイディアを出す発想段階の能力と編集として、読者に読みやすい内容に切り崩してゆくプロセスの分割である。
もちろん編集スピードについても測るつもりでいる。
ブログはPC上で書くのでタイピングが早くなければ思考に追いつけないのでは?と思われるかもしれないが、自分の立ち位置は少し違う。PCで書く上で最もつらいのは誤変換である。
表現を自分の脳内から正確に転写できない時にストレスが発生すると考える。音声入力で文章を書くということもできるかもしれないが、あまり好きではない。どうも口語調になりかねないとも思うし、自分の喋り方に癖がつきそうだからだ。いわば安全装置として、スイッチとして文章を書くモードに変えるためのキーボードである。
どうして楽勝そうに思えるのに、書くスピードを遅く感じるのか?
今のスピードはだいたい、1000文字20分である。
正直に言うと10000文字なんてとても楽勝に思えてしまう。なぜか。
それは文章を読むスピードがあまりにも早すぎるからだ。
自分の読書スピードがだいたい1000文字/分である。ライトノベルなどの軽い文章の場合や簡単な感想文など読解が容易なものには2000文字以上のスピードは出せる。
そして適当に流し読みするだけならもっと早くなるだろう。
そう考えると書くスピード500文字/分に対して読むスピードが倍速いのである。下手すると二倍、三倍の開きはある。だからこそ頑張って書いてるのにまったく書くスピードが遅く感じてしまう。これはあんまりな感じだ。つらい。
自分が書くときに気にしているポイントはアイデアのタネだ。もしくは視点、観点の数といってもいい。自分が気になったポイント、アイデアをまず書き出す。
箇条書きにしてもいい。そしてそのアイデアを薄く広げるように、もしくは周りを埋めるように書く。自分の主義、主張をきちんと補強するように書く。ある意味論理の飛躍してしまった部分の行間を埋める作業といってもいい。
ここらへんを怠ると話が通じなくなってしまう。勝手に書いてる本人が納得して読者が置き去りになってしまう。*1
欲を言えば3000文字か5000文字程度を20分か30分で書けるようになりたい。ぱぱっと自分の主義主張を書けるようになりたい。欲張りすぎだろうか。
そうすると10000文字を一時間で書き終えられるようになる。そこまで書きたいことがあるのかというと話は別だが、それぐらいにまとめられる力が欲しい。
一分あたり100文字ということか。わりと書けない話ではない気がするが。
自分のタイピングスピードが平均的に4key/sec。
日本語では2文字/sec よって120文字/分である。
ここから1時間当たり本気で書ける速度は7200文字/時…
あれ?ぜんぜん足りてない…?…タイピングをがんばらないとそもそも書けない!?
電子上では最大の読書スピードが得られる可能性がある
ともかく流し読みで10000文字は三分で読めてしまう。ネット上で非常に読みやすい文章となっている場合これは顕著になる。なぜならディスプレイサイズを極端に大きくして、ブロックごとに適当に主語と主張となる単語を拾い、語尾を切り落としても自分の脳内で自動補完できてしまう。
もし紙の本の場合、文字の表示スピード、文章のブロックサイズがハード的に規定されてしまう。だからこそネット上の文章は自分の思う最適なスピードで読むことができる非常に効率的な媒体に思える。
この話の面白いところはだいたいの日本の書籍は縦書きになっているというところだ。インターネット上の文章の多くは横書きである。これは文章を読むスピードにどう影響しているのか。動物的な過去においてどちらが有利だったのか。生物学的に有利に読めるのはどちらなのか。
これまた面白い論理としてスマートフォン向けサイトやPCサイトでの広告表示やユーザの目の動きを追ってみたときや、サイトのレイアウト設計などをやっているデザイン本をよむと目はZ字に読んでいく習性があるとかないとか。縦読みの場合はどうなのだろうか。
上記記事で面白いのが、目線が集中しているところがサーモセンサーのように表示されている中頃の画像である。ぜひ見てほしい。
さてVRやARが全盛となった時代に文章を読むときに、機械学習やAIを駆使して文章の最大スピードで読めるようにしたらどうなるだろうか。
この実験はWeb上でも体験できる。フラッシュ暗算のようなもので自分の脳の文章の理解スピードを試すことができる。いわばデジタル式強制フラッシュ読みみたいなものだ。これは本当に、非常に精神に負荷がかかる。
速読 強制スクロールで探してみたが何とも言えない。
昔はエキサイトの検索ワードがリアルタイムで流れるサイトがあったのだが、これを三倍速にしても案外読めたりした。
後はノベルゲームのスキップ状態でも気合を入れれば案外読めたりする現象かな。
もしも、これからの世代が全て最大スピードの読書を覚えてしまったらどうなるだろうか。現代ではデジタルネイティブという言葉が生まれ、PCを使えない世代が誕生してきているが、ある意味コンピュータの本質にとても適応できた世代ともいえる。
そんなポストデジタルネイティブのような世代が情報の溢れる未来において常に脳の最大スピードで情報を取捨選択できるようになったら。そんな未来に若干恐怖を抱いてしまう。人間の脳の処理速度が知識量を決めてしまい、それこそが真の情報格差、強者と弱者を生んでしまうのではないか。
もちろんこれはあまりにも飛躍しすぎているわけだが、微妙に怖い未来だとは思えるだろう。
上記の理論に対する反論は非常に簡単だ。情報の本質をとらえること、情報に含まれていない情報を考えること、情報の二面性など、これらはインテリジェンスそのものである。インテリジェンスは読書スピードによっては身につかない。
自分の気に入る文章ばかり凄まじい速度で読んでいたとしても成長するのか?ということになるのだが。しかしながら圧倒的なスピードで情報を取り入れていけばおのずと視界も広がる。興味も広がることもあるだろう。
つまり情報に接する機会、情報量、スピードで優位に立つことができる環境をすべての人が持ってしまう未来。そんな未来に紙ベースで育ってきた人類は対抗できるだろうか。そして未来の人々はどのような新しい情報社会を作るだろうか。興味がある。
*1:めっちゃ気を付けたい