かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

なんで勉強するのか?下剋上受験というタイトルの気持ち悪さ。それに対する自分の答え。自分で狩りをしよう。

 

 

anond.hatelabo.jp

 

上記のエントリが話題になっていたので、自分の考えを書きたいと思う。

本当に大事なのは勉強ではない。自発的な学習だ

 

雛鳥がエサをもらうことと自分で獲物を狩ることは根本的に違う

 

謂わば、いいなりで身につくことは少ない

だが自分で戦って得たものは役に立ちやすいという違いだ。

 

そして、もらう立場では一生満足できない。

抑圧されて鎖で繋がれてちゃ羽ばたけない。それが勉強と自発的な学習の違いだ。

 

子供が奴隷として飼われることと、大人として自由に冒険するのは根本的に違う。

 

 

勉強は一方的に殴られて理想の人間になれと脅されるようなもの

 

高校と大学の違いを検索してヒットしたので載せる。

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http://www.ritsumei.ac.jp/startup/common/file/share/share-chigai.pdf

 

上記にある通り、高校では決められた問いに正しく答えるということ。

大学では自分で疑問に思ったことを、正しく導き、説明できることを求められる。

 

つまり中学・高校でやらされることを"勉強"といってもいいだろう。

だが大学では勉強ではなく自分のための学習が始まる。

 

あえて"勉強"と強調するのは、明確に分けて考えたほうが害が少ないからだ。

 

勉強とは、問題が与えられ、答えを出すだけ。

しかも問題を選ぶ権利は存在しない。

問題を出す側が一方的に殴り掛かってくるようなものである。

 

これを「何が楽しいの?」と言われれば、知識をたくさん持っていればクイズゲームのように能力を保証されるということだろう。

 

しかしこの方式には問題がある。それは問題を出す側が有利な点だ。

そして問題を出す側が想定する、理想の人間にならなければならない窮屈さがある。

 

問題を答える側の自由度はほとんどゼロに近い。

すべてが想定内に収まるようにされる。

 

楽しいと思えるのは?

さて勉強を楽しくないと感じる場合、素晴らしい才能を持っている可能性がある。

 

それは内心で自分も殴り掛かりたい、狩りをしたいという欲求。

もしくは問題を作る側の悪趣味な操作を内心感じているかもしれないのだ。

 

つまりのびのびと自分で学びたいと感じている可能性がある。

そういう人物に対して、より多く羽ばたかせたり、もしくは大量の武器を手に入れさせることができれば、それこそ最高の教育になるだろう。

 

 

要するに大人の勝手な未来予想図を嫌がる子供の可能性があるということだ!

大変結構なことだろう!

 

 

大人の予想通りの子供なぞつまらない!予想通りの未来なんてつまらない!

もっとはちゃめちゃで面白く羽ばたく子供が増えてほしい!

 

大人は委縮した子供なんて言い方や、純粋無垢ともいうが、発想をどんどんつぶしたり未来を勝手につぶされるようなものだろう。

 

だから勉強の押し付けはやめよう。自由に学ばせればいい。そういうことだ。

 

それが世の中の役に立たないって?

役に立つ勉強をして”本人が”幸せなのかい?

 

勉強が役に立たないといわれるわけ

クイズが人生の役に立つか?という質問に似ているようには思わないだろうか?

歴代の総理を全て言えたところで何の役に立つ?記憶力が優れてるって?

 

謂わば勉強は勉強の役に立つと言ってるようなものだろう。

クイズの知識はクイズに役立つ。ただそれだけである。

いくぶんか物知りにもなれるし、話のタネになる。

もちろん活かしてもいい。興味を持った分野をより広げようとしてもいい。

 

だがそれは勉強ではなくなる。なぜなら勉強で必要な知識を逸脱しているからだ。

どこかの歴代の総理が思い悩んだ記録や想いなどは問われない。

だからこそ学ぼうとすれば、それこそ自分のための学習になるだろう。

 

こういった間口を広げる効用を"勉強"には期待されているのかもしれない

自分で気になったこと、興味が出たこと、疑問になったことを探索することが望ましい。

 

勉強と受験勉強は違うのか?自発的に学ぶ価値を知らないんだろう。

間口を広げることを受験勉強で無駄だからやめろとか言い出すと、あまりに哀れだ。

なにか学校でも"勉強"と"受験勉強"は違うとかのたまうのもこういうことだ。

 

自発的に学ぼうとすることに、外からケチケチ価値をつけるなんて、ナンセンスすぎる。自分で得た真理の価値を気づいていないんだろう。

自分で必死に考えてたどり着いた真理が一つでもある、というのは人生を豊かにする。

 

 

勉強や受験勉強を人生の最大課題のように扱うのは、あまりに近視眼的だ。

答えを覚えてすぐに正解させようとするなんて、人生あまりにもせかしすぎである。

そうすると答えに飛びついて、自分で考えなくなる温床になってしまうだろう。

 

 

それもこれも"詰め込み"だとか"答え丸暗記"の罪なんだろう。

いわば正解にしか価値がないという考え方。

自分でがんばって探すのは価値がないのか。自分で答えを出すことが価値にならないのか。

 

これでは自分で学習しようという気にならない。勉強が嫌いになるのもわけがない。

こういった自発的な行動の芽を摘むことは、教育なんかではない。おこがましい。

冗談的に言えば、それは怪しい宗教団体の"教育"というものだろう。洗脳だ。

 

教育ママ・パパの圧倒的な気持ち悪さ。

最悪なのは親の自己投影による無理やりな勉強の押し付けだ。

子供にとって何よりの不幸だし、勉強という楽しみを別の憎しみに転化させる。

それが何よりも不幸である。

 

子供は親の人生のレールの延長線上を走らなければならなくなるからだ。

親が敷いたレールの上ではない。親の人生を生きる羽目になるからだ。

 

それは自分を亡くす生き方だ。それは自分の喜びなどを全て捧げることに等しい。

自分の人生の幸福や不幸を感じなくなっていく。

合格したところで一種の無力感を感じたり変な学歴コンプレックスを抱えがちだ。

 

なぜならば、親の価値観の上に成り立つ自信だからだ。

親にとって優れた子供でいること。

親が胸を張って自慢できるような子供でいるための勉強なんて、悲しいことだ。

 

親が子供の愛を取り上げている。取引している。

親から認められるために、愛をもらうために勉強をさせられる。

それはもはや親子なんて言えるのか?

優秀じゃない子は、うちの子じゃない?それはもはや虐待と相違ないだろう。

 

ともかく親が勉強にしくじったり生活に困窮したから、子供にはもっとマシな未来を掴ませてあげたい。だから勉強を強要するというのは完全な間違いである。

 

生活が苦しいとか後悔があるというならご自身で学べばよろしい。

それに今の現状が不幸だったり不満足というのなら自分でがんばればよろしい。

大学にでも入ればよろしい。東大だって入れるぞ。

 

自分の状況を不満に思ったり、世の中一般と比べて無駄に不幸とか抜かしているからよっぽど不幸なのだ

 

そしてその歪んだ尺度で自分の子供の将来について決めつけるからこそ、もっと不幸になるのだ。

 

 

たとえ貧乏だろうと、有名大学じゃなかろうと、ママ友とかがどうしようと、ただ自分の人生に満足がいってるならそれでいい。

 

もしタイムマシンとやらが発明されて、自分の未来を変えられるならとか願って自分の過去に戻って勉強して有名大学に入ろうとする親はアホである。

 

今いる現在の幸せや家族を捨てて過去に逃避することと同じだからだ。

 

自分の過去の不幸や境遇、現在を受け入れられない未熟な心を子供に対してあてつけのように使ってはいけない。

 

子供は親の自尊心を満たすためのおもちゃではない。

 

下剋上受験というタイトルの気持ち悪さ

 

 

本書を読む気もないが、とりあえずあらすじを読むと中学受験らしい。

しかしタイトルが本当に気持ち悪く感じる。

 

なぜ下剋上なのか?人生は一度きりで、受験だって一度だ。

そりゃ何度も受けたりするが、それでも下剋上なんて言わないだろう。

 

親が下だから、娘を上に行かせる、というのを下剋上なんて言うのが気持ち悪いのだ

 

非常にどうでもよろしい。親がどうあれ下とか思わんでよろしい。

自分と親とを比べないでいい。というか親側が子供たちと比べることが不幸だ。

 

 

子供には親の願望をかなえる義務なんかありはしない。

育ててやった恩とかいう奴は、愛情とか金とかを人質にしてるのである。

 

それは、立てこもり犯とか誘拐犯的思想である。

身体的安全や精神的安全の人質になって、囚われているのである。

親と子の正常な関係ではない。

 

こういった受験パパ・ママが脅したりして、子供の自由な選択を阻んでいる場合は、不幸にする親とか毒になる親として扱われても文句は言えない。

 

不幸にする親 人生を奪われる子供 (講談社+α文庫)

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問い:なぜ勉強するのか?(配点:無限)

あなたは教科書通りにこの問題に答えますか?それとも自分で探しますか?

それとも他人の意見を引用しますか?大量の本を読みますか?

古代ギリシャまでさかのぼりますか?正しい答えを出そうと思いますか。

 

そして誰かに提出して、丸を付けてもらうのでしょうか?

配点をもらう人生を送るのでしょうか?

 

 

私なりの答えはこの記事である。そして、こんな問題に答えなくていい。

配点なんかもらわなくたっていい。自分で答えて自分で納得すりゃいい。

 

 

人から与えられた問題なんてくそくらえだ!と言っていい。

 

 

大人になった人間は、質問に答えなくたっていい。

大人は自分で解きたい問題を、誰にも採点されずに、自分で楽しんで解くんだ。

 

 

はっきり言おう!自分で選んで、自分で考えて、自分で学ぶことが一番楽しいんだ!

そしてそれは勉強ではない!

 

そういう自由が大人にはあるのだ。

大人は自然と自分で選んで自分で学んで生きる。

それが生涯学習ってやつだ。生涯勉強では断じてない。