かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

何回も見た映画、グッドウィルハンティング。自分には新規性があるだろうかと考え、反省する。

 

お題「何回も見た映画」

今日はお題スロットを使って書いてみようと思います。

私が何回も見た映画は、グッドウィルハンティングです。

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主人公は天才だが…どうしても足りないものがある

主人公のウィルはあらゆるものを記憶し、なおかつ数学の難題ですらスラスラ解けてしまう天才です。思わず大学のベテラン数学者すら嫉妬してしまうほどの才能。しかしその才能をまったく活かすことなく、周囲を皮肉によって拒絶し、いざこざをよくおこしてしまう問題児でもあります。

 

心理的カウンセリングや上から目線のおせっかいなどを、自分の持つ圧倒的な知識量で打ち負かしていく。口が達者とでも言うのでしょうか。あらゆる古今東西の名言や物語を読んできたウィルにとって、周囲の人物の説教やおしつけがましいものはたやすく論破できてしまいます。

 

しかし物語の中盤でウィルの本質はズバリと見抜かれ突き付けられます。

 

それは”全て君の言葉じゃない”ということ。非凡なる才能を持ち、あらゆる書物を読み込んで自在に操ることのできる彼ですが、自分自身の心で語ろうとしていないと見抜かれるのです。

 

ウィルは孤児であり、虐待された経験もある心の傷ついた青年です。人を愛する覚悟や自分の未来についてほんの少し臆病な普通の青年でもある、と初めて描写されます。かれは非凡な天才でもありますが、まだまだ人生経験の少ない、非常に傷ついた青年であると視聴者にも初めてわかります。

 

引用を繰り返し、自分で探したり見つけられないのか?

eroge-pc.hatenablog.jp

こちらのエントリから気になってドキッとしたのがこちら。

本ばかり読んでるとバカになる: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

ショウペンハウエルが「読書について」でいいこと言っている。読書は他人にものを考えてもらうこと。だから本を読むことは他人の思考過程をたどっているだけであって、自らの思索の自由を阻めることになる

(中略)

さらに追い打ちで多読を批判をする。自ら思索しようとせず、最初から本に頼る。書物によって知り得たにすぎない知識や思想を、あたかも自分のもののように振り回す。

 

これが、グッドウィルハンティングの主人公ウィルに対しても指摘されていたことじゃないかと思うのです。本や他人から得た知識をあたかも自分の知識であると思い込んでそれを自在に大量にもっと利用できるよう、さらに読み込んでしまう現象。

 

自分にも非常に、多く当てはまってしまいショックを受けました。私は本屋に行くのも大好きですし立ち読みも大好き。月に何冊も読む自分を振り返り、日本人の月平均読書数が減っている~という風説を聞くたび優越感を感じていたちっちゃい生き物です。

 

あわてて「読書について」を買ったものの、さてそれすらも他人にものを考えてもらってるだけじゃないかとも思う。強烈な自己批判にさらされる本です。本というのは売れてナンボでもあります。いわゆる野球のオーナー批判はできないように、本は本というものをなかなか批判できないものです。それだけ衝撃的でした。

 

この理論を受け入れたとき、自分はとてつもない恐怖に怯えるのです。それは自分のオリジナリティはいったいどこにあるのだろうか?ということ。自分はだれかのふんどしでしか戦っていないんじゃないかと。自分は他人の作ったレゴブロックのような細かい理論をくっつけて遊んでいるだけなんじゃないかと。それで本当に誇れるのか?

 

私は大学で卒業研究をしたことがあります。その時に学んだ研究の大切さ。それは新規性です。その研究はいったい何が新しいのか。オリジナリティは何か。従来研究とはいったいどこに差異があるのか。これをきちんと説明できない限り、研究とは認められないものです。

 

私の研究室での卒業研究は、従来研究Aと従来研究Bの組み合わせや比較、もしくはパラメータの一部変更。または先輩の研究引継ぎなど。それが本当にオリジナリティなのか、苦心しながら、そして苦し紛れに説明しつつ、苦笑いで受け入れてもらうものでした。

 

今、私が多くやってしまっているのが自分が過去に見たり聞いたり学んだ、他人の経験の集積を自分勝手につなげて、くっつけて、引き出してさも自分のものだとアピールしてしまっているのだと思っています。断じて誇れるものではないです。きちんと自分の頭で新規性足りうるものを生成できていないなと感じます。

 

この記事に至っても、新規性といえばグッドウィルハンティングから、ショーペンハウエルの読書についてを引き出して、自分の過去の経験をくっつけて盛大に反省しているというだけです。ホントにこんなのが新規性なのかと非常に恥ずかしくなるものです。

 

いわばこれとこれが似てるんじゃないか?とかこんなこと言われたなと他人の言葉をひっつけて代弁してるにすぎません。凹みますね。これじゃ新規性もクソもありません。

 

どうしようもなく自己嫌悪です。だからこそ作家や小説家、研究者は絶えず自分だけのオリジナリティ、新規性を追い求め、そしてそれを賛美するのだなと思います。それだけ非常に価値があるものだと認められるからです。

 

自分はまだまだ駆けだしへっぽこブロガーですが、自分なりのオリジナリティを出して記事を書けるようになりたいと思います。本当にまだまだ未熟ものですが、こうして自分なりに書いていく中で修練出来たらいいなと思います。