かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

就活の自己分析で自分をいじめないようにしよう。そして傷ついた友人を助けてみよう。

 

www.sankei.com

就活解禁が間近ですね。徐々に就活応援とか、マナーや面接テクニックについてのエントリが増えてきていると思います。私も自分の就職活動の経験から一つ書いてみようと思います。

 

私が就職活動中に気づいたことは、様々な人が傷ついて自信を無くしたり失意に落ち込む姿が多いことです。これはしょうがないことかもしれません。でも落ち込んだ末に自分自身に対して誤ったイメージを持ってしまい、自分の評価を思いっきり下げて不本意で燃え尽きたかのように就職活動を終える人もいました。優秀だと評判の人が肝心の第一志望に落ちて心折れてしまい、結果として酷く苦しむ姿も見てきました。

 

こういった人々に対してのアドバイスや、自分がそうなってしまったときの対処法はあまり見受けられないように感じます。 説明会は100社以上受けなきゃだめだ、とかいちいち質問しなきゃいけない、メモ取りは必須…。いろいろ就活テクニックがあるらしいですが、どうもメンタル面に良い影響を与えるとは思えません。

 

そんなわけで自分なりにちょっとメンタル面に配慮したエントリを書こうと思います。

 

自己分析の罠と傷ついた友人を助けること

就職活動ではよく自己分析や性格・適職診断、面接練習やエントリーシートの添削などをすると思います。そうして多くの人が苦しむのが、自分とはどういう人間なのか、自分の特技や特徴、長所・短所でしょう。そして就職活動で連敗してくると、自分の評価が間違っているんじゃないかと不安になり更に深みにはまっていきます。自分には他の大勢の人間と比べて際立った特徴がない…。

 

自分だけではなく、友人がそんな風に落ち込んでいる姿を見ることにもなるかもしれません。そんな時大切にしたいのは、友人の立場から見たその人の良さをきちんと伝えること。友人がエントリーシートに書ける長所がない…とめっちゃへこんでたり、意地悪な人に性格悪いねとか主体性がないとかボロクソに言われて泣きそうなぐらい傷ついてるときもあるでしょう。

 

そんなとき友人代表として、その人のいいところをたくさん見てきた人間としてを入れましょう。「私はちょっと出会ってあなたを見た人たちよりも、あなたを見てきた。だから信用してほしいが、あなたは良い人間ですよ。私はあなたが好きです」と。

 

自分をすごく悪く愚痴っていると友人が、「自分の好きな人をそんなふうに悪く言わないでほしい」と怒るというコピペがありました。私はそのコピペが好きなのです。自分の好きな人が長所なんてないとか、魅力がないとか言ってると腹が立ちませんか?

 

だからこそいっぱい友人にいいところを伝えるのも大切だと思います。恩返しじゃありませんが、あなたがもしも大切な友人として接してきたなら、きちんとできると思います。もしかすると自分の言葉がその人にとって必要なのかもしれません。

 

大切な友人じゃなくても研究室やサークルの後輩などにも言えますし、一つ上の先輩がひどく落ち込んでいても、過去に受けた恩をしっかりと話すとか感謝の気持ちを伝えるだけでも、ちょっとは助けになるものです。実際に自分も励まされて少し涙が出そうになりました。見知った人の温かい言葉は染み入ります。

 

そして友人に少しだけアドバイスできたとしたら、自分もそれだけ助けてもらいましょう。就職活動は本当に大切なことだと思うけど、それまで過ごしてきた時間と思い出も大切にしてほしいと思う。大学生活やこれまでの人生で得たものをきちんと活かしてほしい。だからこそ遠慮なく頼ったり、そして頼られたり助けたりすることも大切だと思う。

 

就職活動は孤独に、人と人とのつながりが薄くなってしまう時間になりがちだと思う。意外かもしれないが表面的な取り繕いや新しいつながり、そして予定で忙しくなりがちだからだ。だからこそ自分が一人じゃないと信じたり、他人の助けを借りたり、はたまた他人のために少しお返しをしたりすることも大切だと思う。就職活動はただその時一点で戦うのではなく、自分の人生の延長線上にあるものとして戦ってほしい。そのために自分の人生にかかわってきたものを少し動員してもいいんじゃないかなと思う。

 

他人にどのように見えてしまったのか

面接官や指導員は学生のバックグラウンドを正確には知りえません。ただ、自分が見せた数十分の姿を見て批評するだけです。人のすべてをたかが数十分で見透かせる人間なんて存在しないと思っていい。

 

それよりも面接官や指導員に対して、どのように見えてしまったのかということを大切にしたほうがいい。ひょっとすると自分のいい部分ではなく、悪い部分ばかりを強調して見せてしまったとも考えられる。そうすると自分の根幹を否定する必要はなくなる。

 

面接できちんと自分を表現する方法を知らなかっただけだと。自分を上手に説明することができなかっただけ。相手に自分の良い部分を説明できなかっただけかもしれない。だから自分に魅力が全くないってことではない、と思っていいと思う。それよりも自分自身の魅力について自分がわかってないことのほうが多い。

 

それは自分が些細に思ってることを、他人がものすごく感謝してくれることがあるのと同じだ。なんとなく困ってそうだったから代わりに手伝ってあげた。大したことなかったけど、ずっと誰も見て見ぬふりをされていたから、ひどく感謝される。それに気づけたのは素晴らしい優しさだったとか。

 

こうするとよくなるんじゃないか、効率化できそうだと自分の利益のためにやったことが、やたらと称賛されることもある。ちっぽけで、ものすごい簡単に適当にやっただけなのに困惑することがある。それも立派な自分の良さだと認めてあげていい。ちょっと照れくさいかもしれないが、自分を誤解されるよりも、ずっとましだ。

 

だからこそ必要以上に自分を卑下しないでほしい。自分には何もないと落ち込むのは待ってほしい。そして無遠慮な他人や残酷な結果に対して必要以上に傷つかないでほしい。

 

自分自身を捻じ曲げたり過度に飾り立てたりは避ける

どうしても入りたい会社があったりすると思う。そんなときその会社のイメージに合うように必死でエピソードをかき集めて、性格の一面を拡大して見せることをすると思う。会社の成り立ちや投資家向けの情報まで網羅してしまうかもしれない。

 

でも、誰かになろうとしすぎないでほしい。自分が受かるように、会社に自分の精神を過度に合わせすぎないでほしい。それは身を滅ぼすかもしれない。なんとなく面接官や会社の雰囲気と合わない時もある。そんなときにむりやり自分を合わせてしまうと入社してからも無理が祟る可能性がある。だからこそ自分のありのままに近い状態で見定めることも大切だと思う。

 

そもそも雰囲気がおかしかったり、説明が異常な時もある。なんとなく嫌な気配があるなんてのもある。説明している人の性格が悪そうだとか、あまりにも傲慢ちきだとか。そういう会社にはいかなくていいし、選ばなくていいと思う。こちらも選んでいるのだから無理に合わせすぎなくていい。自分自身に無理を強いるのは心が追い付かなくなってしまう。そうなると長い戦いで消耗して、深い傷を負うことにもなってしまうかもしれない。自分をいじめて追い詰めすぎないでほしい。

 

おわりに

なんだかちょっと変なタイトルかもしれません。いろいろ整理できなくてぐちゃぐちゃしてるかもしれない。当たり前かもしれないし、大げさすぎかもしれません。でも自分の伝えたかったことです。就職活動は一般的に非常に厳しいと思います。不安と緊張の中で数か月を過ごすプレッシャーは酷いものです。

 

次の説明会はいくつあるのか。あとどれぐらい履歴書とエントリーシートを出すのか。面接はどれくらい残っているのか。いったいいつ連絡が来るのだろうか。ふと連絡が来たと思ったらまったく別の連絡で心底落ち込むこともあるでしょう。どうにも心休まらずリフレッシュなど出来はしません。

 

そんなことを繰り返してると、どんどん自分自身に自信がなくなったり元気がなくなってきます。そういう時友人との交流を増やすことも心の回復に大切じゃないか…と思って書きました。優しい人ほど遠慮して迷惑をかけたくないと頑張ってしまいます。そこを乗り越えて就活で傷つきすぎないように過ごしてほしいなあと思います。