かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

ある日ものすごく人間が嫌いになった日があった。そのおかげでわかったこと。

 

わからないけど、とにかく人間嫌いに

なんというか、凄まじく気分が落ち込んでしまった日がある。別に何かがあったわけじゃない。ただ気分の落ち込みが酷かった。幸いにして休みの日だったからよかったものの、もう布団から一歩も出れないくらい酷かった。体を一歩も動かしたくないし、そもそも考えるのも嫌になってくるぐらいだった。

 

何が原因だったのかはわからない。前日に冷蔵庫の中の賞味期限切れの物をうっかり食べてしまったのか、それとも数日前になんらかの他人からの悪意を受け取っていてそれが刺さったままだったのか。体調不良、風邪の前兆、気圧の変動などなど考えられるが、どうにもならない。もうイライラまでしてきて不調に拍車がかかっていた。ともかく本当にヒドイ一日だった。

 

さて、なぜかはわからないものの本当に人間が大っ嫌いになった日だった。今は別になんともない。普通だ。馴染みの定食屋の店員さんに笑顔でお元気ですか?と聞いたりするぐらいには人好きだ。特段人間なんて滅びればいいというメンヘラ気質、絶望したラスボス的要素はない。あの日だけが特別だったと思いたい。もしかすると自分は体調が悪くなると人間嫌いになるのか。もしかすると本当に風邪をひいていて体を守らなければ…!という防衛本能だったのかもしれないが。

 

人間嫌いになってわかった絶望

さて、人間嫌いになった日を振り返ってみる。なんていうかすごく珍しい精神だったので観察することにしていた。当時はブログを書いてはいなかったのだけれど、こうしてネタとして発掘できたので当時の自分よ、人嫌いな中でよくやってくれたと言いたい。

 

まず感じたのは、大好きだった本を微塵も読みたくなくなるということだ。だって人間が書いているんだもの。人間の主義主張なんて見たくもないし聞きたくもないとまったく読む気がなくなった。ビジネス書なんて完全にダメだ。押しつけがましく見えてしまう。

 

小説はどうだろう。ファンタジーなら…と思ったけどだいたい人間が出てくる。例えエルフとかドラゴンだったとしても書いてる人間の思考にしか見えなくなってしまう。というか人間にわかるように書いてある書物が嫌になった。なんてこった、ここまで人間嫌いをこじらすとは。本当に本が読めなくなるなんてと若干戦慄していた。

 

ただ、今思うと数学書あたりは行けた可能性がある。確認しなかったのは手抜かりだった。物理もありだったかもしれない。まあどのみち元気がなかったのでちゃんと読み解けるとは思えなかったが。

 

さて、しょうがない。本が読めないのならばゲームやインターネットは…人が多すぎる。どうなんだろう、どこでもいっしょとかピクミンあたりならセーフだったかもしれないが、あいにくと所持していなかった。塊魂もありだったかもしれない。人間を大量に巻き込んで惑星ごと夜空のお星さまにする最高のゲームだが、残念ながら所持してなかった。ことごとく自分の持っているゲームは人間ばかり登場するゲームだった。

 

とりあえず家を眺めてみる。うーん、こうしてみると人間が作ったものばっかりだ。人工物と名の付くものばかりである。都会には自然が少ないと言うが、どちらかというと人工物があまりにも多すぎると言ったほうが正しい。そりゃ人間がここまで繁栄しているのだから人工物だって大量に増える。ともあれ人間嫌いだから人工物も嫌いとか言ってる自分がもうどうしようもなく思えてくる。中二病潔癖症ベジタリアンの人間版みたいなものかと。

 

さてここまでくるともう自分自身が嫌になる。私は貝になりたいとか鳥になりたいじゃないけど、我思うゆえに我あり。自分が考えているのが嫌になってくる。自分という人間すら嫌になってくるのだから本当に始末が悪い。ここまでくるともはや寝る以外の選択肢がない。しょうがないので寝支度をして体調がよくなるのを期待した。

 

おわりに

本が好きなのに本を読みたいという気持ちの根本が揺らいだのは初めてだった。小説などに組み込まれている物語というのは人間そのものなのかなあという発見があった。人間嫌いになると本当に生きづらい。目に見えるものの大半が敵になってしまう。自分自身すら敵になってしまうとえらいこっちゃである。

 

幸いにして翌日は極端な腹ペコと体調不良に悩まされた以外に影響はなかった。人生何が起こるかわからないもんだなと思う。