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かやのみ日記帳

読書の感想や思想を毎日書いています!

「子供に小説は書けない」に対する反論。自分なりに「書く」ということに答えを出すこと。

 

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こういうものを見ると心が毒される。自分の中で弱っている部分に直接ダメージを食らうように感じる。自分もブログを書いているので、こういった批判は自分の中にある不安を増長させてしまう。

 

この記事を書くときにだって、この文章は読者の為になるのだろうか、誰かの心に響くのだろうか、金にもならないのに何故書き続けるのか、時間の無駄じゃないのか、読みにくくないか、批判されるんじゃないか、未熟すぎ…などなど。このような不安が入り混じっている中で上記のような批判を見ると「書きたい」という想いがメキメキと潰されていく。

 

こういった文章の主張は非常にエネルギーに満ちている。それも負のエネルギーだ。強烈に自分の影の部分を引きずり出す。そういうものだ。まず妄想の作文を小説とは言わないなんて書いてあるとドキッとする。自分にも当てはまっているんじゃないかと不安になる。

 

読書家で向上心をほんの少しでも持っているならば、そして批判は真摯に受け止めて改善していくという真っ当な精神を持っているならその主張を読み解こうとしてしまう。こうした時、負の文章を真っ向から受け止めようとしてダメージを負ってしまう。

 

このような主義主張が強く、自分の精神に少し悪影響をもたらすものを”ウイルス”と似てると感じる。悪い意味ではない。なぜならウイルスも自分の中に抗体を持つことでより強くなれるからである。ただ、それまでには発熱したり寝込んだり、苦しんだりする羽目になるわけだ。このような文章を自分で読み込んで対応しようとするのはワクチンを接種しようとしていると考えられるかもしれない。

 

子供に小説は書けないという批判は適切か

本題に入ろう。なぜ「子供に小説は書けない」というものを選んだか。この文章は特にランキングに入っているわけでもないし、そもそも感想欄を閉じて作者名すら隠しているので、非常に一方的に叩きつけるような攻撃的文章である。このような文章は読まなければいい。だがそれでも自分の糧としたいとか、どうしても気になって読んでしまった人に向けて少し元気づけたいという気持ちがある。

 

さて文章の中身について少しずつ書いていく。

それとも自立出来ないニートか ? いつまでも中二病か ?

社会経験も無く、宿題・課題さえこなせない弱虫がヒーロー物語を書いてるのか ? いい気なものだ。

親は、よほど心配しているだろう。

この子は社会人として自立出来るだろうかと。

この文章は非常に余計なお世話である。そう言ってしまえば簡単に済むが、どこか当てはまってしまうと辛い気持ちになるだろう。こういう感情にストレートにくるものに理論を振りかざしても心が納得できなきゃ辛い。

 

なによりもテメーこんなこと書きやがってオメーはどうなんだ!とファイティングポーズを取り出すと負けである。相手の土俵で戦おうとしてはいけない。相手を散々検索して作品を見てオメーだって書けてねえじゃんクソザコと言いたくなると思うが、それでもこの主張に対してなんら意味をなしてない、ということを心ではわかっているはずだ。だからむなしくなること請け合いである。書いた人間とその意見は別にしてあげないといけない。人格攻撃は双方に良い影響をもたらさない。

 

そうして人間の美点を見つけなさい。この世は生きるに値する事を伝えなさい。

現実社会で見かけたあの人は、辛い境遇でも困難に立ち向かっている。その人こそヒーローなのだ。そのような感動を伝えなさい。魔王がどうしたなどという作り話は、もう誰も求めていない。

小説らしい小説を書けるのは、スマホの通信費を自力で払える者だけなのだ。

子供に小説は書けない。

もうホント余計なお世話だバカヤローと言いたくなる気持ちは十分にあると思う。それでも解釈したくなるのも、真剣に小説を書きたいとかいい文章を書きたいと思っている体と思う。もしくは恐る恐る書いている不安な気持ちだからか。だからこのような主張でもダメージを食らう受け取り方をしてしまう。

 

こういうのは作者の根底が”素晴らしい人間”が”素晴らしい小説”を書くものだという美意識による主張だ。いわゆる”世間一般の褒められるべき正論”とかそういう類だ。この手の美しい正論というのは振りかざすと大変に心地がいい。そして相手を封殺できるマジックウェポンである。

 

大事なのは心

さて上記の余計なお世話に対しての自分の反論は、誰でも書く権利はあるよという当たり前のことだ。言論の自由は保障されてるしね。それはともかく、初心者は気後れしがちだ。どうも素晴らしいもの以外書いちゃいけないんじゃないかという気持ちになる。下手なものを公開するのは人の迷惑じゃないかと。

 

でも、自分から言わせてもらえば「書こう」という気持ちを持つことが素晴らしいと思う。この「書こう」と思った気持ちというのは人それぞれにある。みんな同じ「書こう」という気持ちではない。有名になりたい、人を楽しませたい、ただ自分の望みを実現したい…。この「書こう」という気持ちはいろいろ混ざっているので人それぞれ配合が違うと言ってもいい。

 

自分の願いや想いを他人に容易に否定されてはいけない。そういった他人の言葉を自分の心の内側にまで及ぼさせてはいけない。もちろん反省するなと言うわけじゃない。ただ、毒になる言葉を受け入れたときに、自分の内側にある「なぜ書くのか」ということが大事になると思う。

 

こういった他人の「こうあるべき」というのを受け入れ続けると精神を容易に病む羽目になる。それは今とは違う自分になれという命令でもある。自分が自分じゃなくなってしまえというのは自分の対する怒りにもなりかねない。

 

こういった辛辣そうな批判を受け入れたら、自分の中でゆっくりと何らかの結論が出せるよう戦って抗体を手に入れるしかない。自分なりの「なぜ書くのか?」という気持ちをしっかりと持つことができれば、こういった意見に対して揺らぐことは少なくなると思う。

 

「子供に小説は書けない」という意見に対しての自分の結論

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こちらのエッセイで小説家の人がどのような気持ちで書くのか気になったので実際に買って読んでみた。とてもよかったのは坂東太郎さんの小説を書き始めた動機。これが非常に詳しく述べられている。

最初の投稿から書籍化まで1ヵ月もたっていませんね。しかも30代で生まれて初めて書いた小説…執筆のきっかけは何だったのでしょうか?

坂東:(中略)

きっかけは激務で心身を病んだことです。あるとき車を運転していて「死のう」と思ってハンドルを切ったんです。冬の北海道だったので、雪がクッションになって死なずに済みましたが、病院に行ったら鬱病だと言われて会社を退職しました。それから関東の実家に帰って来て、ニートとして暮らしていました。

(中略)

「WEB小説にもかかわらずこんなにすごい作品がある」と驚きながら読み進めていき、最後には、号泣しました。

それでなんとなく、「自分も書いてみよう」と思い立ちました。時間はいくらでもありましたし、「物語を書く」ことは、いつかやってみたいことの一つでした。

(読者の心をつかむ WEB小説ヒットの方程式 P179,180 より引用)

こうして生まれたのが「10年ごしの引きニートを辞めて外出したら自宅ごと異世界に転移してた」である。作者が書くことでストレス解消となったと述べている。

 

このように逆境に立たされた人や心身に著しいダメージを負った人でも、その気持ちを昇華して創作することで救われる人がいる。こうしなきゃいけないと人に批判されることから「書く」ということは自由なんだと思う。どんな立場でも書きたいと思ったら書いていいと思う。

 

大事なのは書きたいという気持ちを持ち続けて、それでいて書く人が「書く」ということに救われていることじゃないかと思う。