かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

自分が持つイメージと他人が抱くイメージの違い。それは普段の立ち振る舞いも加味されているのかも。

 

自分の持つイメージと他人の抱いた印象の差

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ふと思い出したので、上記について書きたいと思う。自分に対する評価と他人が抱く評価はこんなにも違うことを示す好例だと思う。

 

上記の動画では似顔絵を作成する際に本人を見ずに、本人にどのような顔ですか?と問いかけることで進めていく。本人は自分の悪い部分をつい伝えてしまう。質問はシンプルで、いい点わるい点を聞いているわけではない。それなのに悪い点ばかり特徴として伝えてしまう。なかなか自分の自慢になる点を伝えることは少ないだろう。似顔絵を描いている人は着実にその特徴を反映する。そうして出来上がるものは自分自身に対して抱いている心の中にある自画像だ。

 

それに対して待合室で待っていた参加者に似顔絵を描いた女性に対する印象を聞いてまた同じように似顔絵を描く。他人からは「素敵な瞳」などと称されている。なかには自分がもっとも嫌悪していた部分に対して「とてもキュートだった」とまで言われている。自分自身の抱いていた評価とはまったく違う。

 

そうして出来上がった二枚の似顔絵を見比べてみて動画は終了する。片方は陰惨でもう片方は少し明るく見える。自分自身で抱いているイメージと他人が抱いたイメージの対照がまざまざと出ているすごい作品だ。ここまで違って見えるとは思いもよらなかった。

 

立ち振る舞いも大切

この作品がなぜすごいのか?というのは、自分に対して抱いている印象と他人が自分に抱いている印象の違いを忠実に描き出したからだろう。自分自身を正確に示すのなら証明写真で事足りる。だとすれば似顔絵は一枚でよかったはずだ。もう一枚は必要ない。本人の写真を撮って見比べれば済む。

 

だが、他人があいまいに抱いた印象を描き出したというところがミソだ。実際の写真よりもずっと良い印象にすら見えることだろう。これはどういうことなのか。おそらく人間はそのままを見ているというわけではないんだと思う。勝手に脳内で印象を構築してしまう。それは話した言葉や態度に対する評価も加えられているのだと思う。

 

案外他人は気にしてないとも言えるが、もっと言うならば普段の立ち振る舞いによって他人の中で作られるその人に対するイメージは変わるというわけだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いわけだし、あばたもえくぼ、なんていうのも使い古されている。普段話す内容やふとした時の対応によってずいぶん変わるともいえる。

 

自分はよくイメージとまったく違う人間だと言われていて、なんだろうご期待に沿えなくて悪いなあと思ってもいたが案外悪い意味ではないのかもしれない。見た目よりもずっと話しやすいとか少しだけ好感をもたれるようなら楽になる。

 

なんとなく気難しい人には声をかけづらいし、忙しそうにしてたり不機嫌そうな態度が常な人には寄り付かないだろうと思っている。だからこそ人と話すときは極力へそをむけることを心がけている。これは小学生の頃の担任の先生に怒られている時に教えてもらったことだ。聞く時の態度というのはへそを向けることだというちょっとした面白さが子供ながらに良かった。

 

人の話を聞くときはたとえ友人同士でもなるべくへそを向けて話したい。立場が下だとしても、きちんと目を見て話を聞いてくれる上司というのは対応が丁寧だなあと感じるものだ。そういった何気ないしぐさや心がけていることでずっと印象は変わるものじゃないかと思っている。