かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

画一的に管理する教育からコーチングする教育への進化へ。STEM教育から考える教師の今後の役割。

 

自ら学ぶことを大切にしようとするSTEM教育

fabcross.jp

Twitterで見かけたSTEM教育が面白かったので言及したいと思う。というか2020年に小学校でプログラミング教育が必修化されるとは知らなかった。とはいえ総合的な時間などでちょこっと導入されるだけらしい。単科として扱われるわけではないようだ。

さて、STEMはScience(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Mathematics(数学)の頭文字からとられているらしい。かなりの理系で実戦に即している分野に偏ってるなあという印象もあるが…。

ともかく上記のリンク先の内容を引用するといい言葉が並んでいる。

本質は「21世紀型の自ら学びとる人間を育てる」ことにあります。教育界が長年志向してきた「自ら学びとる」教育が、コンピュータの普及によって具体化できるようになりました。それがSTEM教育の本質です。

21世紀、「知りたいときに知りたいことをすぐに知る」時代がやってきました。「生徒から始める」教育を推進できる環境が整ったのです。

そして阿部和広先生のインタビューでは今後の教育がどうあるべきかを非常に明瞭に説明している。プログラミング必修化ではただ"プログラミング"という技術の習得を目指すべきではなく、むしろプログラミングを下地にした主体的に学習する楽しさを重視するべきであるということなのだろう。

プログラミングは、いきなり答えが出るというものではなくて、子どもたちが主体的な学習者として試行錯誤するなかで、だんだん答えに近づく過程で、自ら学ぶ意味を発見するものです。

つまりScratchでプログラミングを経験すると「自分はこれを作りたい。作るためには、これをやらなくちゃいけない」と自ら気づいて取り組みます。つまり「学ぶことを学ぶ」わけです。一度これを経験した子どもはプログラミングだけじゃなくて、他の教科の学習についても同じように取り組むようになります。そこが最も重要です。

 

自ら学ぶ子は歓迎されない…?

blog.tinect.jp

こちらの記事がすごく注目されている。この記事内で紹介されている「伸びる子」の特徴は”大人に「これはどうなの?」と自分で問いかけることができる子”として扱われている。

だが、面白いのはブックマークコメント欄だ。一番スターを集めているコメントの指摘ではこうした子供は従来の学校教育では歓迎されないということを言っているのかもしれない。教師としては余計な時間を使わされたり、こういった逸脱した子供に対して画一的に”管理”できないことに苛立つことだってある。

「こういう子はほぼ100%伸びた」というパターンの話 | Books&Apps

逆に、こういう子は社会では潰されやすい。上司や会社が作ったルールや仕組み自体に疑問を持ってしまうから。

2017/03/17 09:54

b.hatena.ne.jp

 

画一的ではない、自分で選んで自分で進める学習

www.ted.com

ここでTEDの教育関連で一番好きな動画を挙げさせてもらいたい。カーンアカデミーはもしかするとTEDで有名になったのかもしれない。その思想に共感したビルゲイツ財団やGoogleが出資し注目を浴びていた。

上記動画で指摘していることは、生身の教師が教室で固定的に時間を使って教えるのは学生にとってありがたくないということだ。むしろ動画であったほうが再生・停止・巻き戻しができる。退屈な部分は飛ばせるし、なんなら倍速でも見れる。何度見てもやり直しても怒られない。動画教材のほうがありがたいということだ

ただ質問に関してどうするの?ということだが、これは生身の教師が答えてもいいし動画配信のコミュニティサイトに書き込みをして質問してもいい。先に学習を終えた子供たちや逸脱した内容なら教員やその分野に詳しい専門家がボランティアで答えてくれることもある。動画を主にして、生身の人間のほうを従とする方式だ。最初の取り掛かりや自分で主体的に学ぶ姿勢ではよりよい方策と言える。

 

上記動画ではさらに教え方についても鋭く指摘している。わからないことがあったとしても、先に進んでいい。それによって落第点をつけるべきではないし、むしろ先に進んで後から戻ったほうがわかりやすいこともある。いわゆる学習期間を勝手に決めて進行を管理することを批判している。この分野の次はこれ、と決めないほうがいいということだ。それぞれに飲み込みやすい分野から進めたほうが興味関心が薄れずに苦手意識も軽減できる可能性がある。

このように自分で学習のペースを自分で決められることは非常にいいことだ。中にはペースの遅い子もいるが、実は後から急激に伸びるタイプの可能性もある。そういった子にとって動画ベースで叱られない教育というのはとても素晴らしいものだろう。

そしてジョークとして面白いことを言っている。

教えている内容は 古くはならないので 子や孫の世代にも 役立つかもしれない ということです もしアイザック・ニュートン 微積YouTubeビデオを 残していたら 私がやる必要は なかったんです (笑) まあ 彼がうまかったらの話ですが

つまり面白く教えられる教師がビデオとして教えてくれれば古今東西役に立つということだ。従来のスタイルの義務教育では学生が教師を選ぶことはできない。だが、ビデオ教育ならば自分に合ったスタイルの教師を選んで、なんら怒られることなく自分のペースで興味を失うことなく続けることができる。

これが実現されると教師というのは学生を縛り管理するものではなく、むしろ導くことが主体となるコーチのような役割へとシフトしていくと考えられる。いわゆるコーチングの技術だ。教師は廃業になるのではなく、ただ求められる役割が変化する。そしてさらに重要な難しい技術が求められると言っていいだろう。

 

画一的な管理から寄り添うコーチングへ?

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上記の画像はボスとリーダーの違いについてだが、学校教育にも当てはまるんじゃないかと思う。今までは教師や指導要綱といった管理(ボス)に縛られ、学ばされる、やらされるという立場だった。しかし今後は学生個人個人の助けになるようなツールやコーチングといった技術が一緒に学ぶことを後押ししてくれる(リーダー)ような時代になればいいと思う。

このリーダーという立場はそれぞれ学生個人個人が別々の分野でその役割を交代することができる。だれもが新しい教師の役割を身に着けることができ、互いに競い合って学ぶのではなく、どのようにして協力して学習を進めるかということに大きな関心を寄せることになるだろう。

そうなれば評価方法だって変化していく。ただの暗記によって点数が上下するのではなく、個人個人が納得して己を採点したって良い。自分で目標を立てて自分で採点し、次の目標について相談する。そんな教育が実現できる時代がそろそろ来てもいいんじゃないか。

教師が学生の学習状態を管理する時代はそろそろ終わるのかもしれない。より柔軟な教育の提供は難しい、大仕事になるがインターネットや技術、便利なツールがそれを後押ししてくれるのかもしれない。