かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

映画アサシンクリードのネタバレあり感想。うーん、監督は何を伝えたかったんだろう…?

 

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ということでアサシンクリードを見てきました。そのネタバレを含む感想を書きたいと思います。ゲームは4のBlackFlagまではすべてプレイしています。正直海戦があまりにもだるくて挫折した…。

 

 

ゲームと違う点

  • 秘宝がテンプル騎士達に渡っていないし、そもそも確認すらされていない
  • アサシンの特殊性の描写なし(鷹の目なし、秘宝から影響を受けにくいなど)
  • よって秘宝から影響を受けにくいという説明は存在しない
  • 秘宝の性能面の説明がほとんどない、もしくは説明が薄い
  • 秘宝に種類があるかどうかなどは描写されない
  • イーグルダイブはあるけど藁にはもぐらない(高所からの偵察もない!)
  • アブスターゴの巨大さなどは描写されない、そもそも製薬会社ですらない?
  • アサシンのファームや外部協力者(アサシンの系統ではない者)の描写なし

一番大きいのはテンプル騎士が秘宝を確認すらしていないという点でしょう。これはかなり意外でした。またエデンの果実の性能はまったく描写されないのでゲームに比べて驚異度をまったく感じません。ちょっと光る球体なだけです。これはトロフィー的な何かですか?という感じ。ただのコレクションアイテムみたいなポジションに見えてしまう…。

 

アニムスの変更について

なんでアニムスはベッドから進化したのでしょうか。かなり疑問でPVで激しいアクションしてて笑っちゃいましたが、映画を見て納得しました。

今回のアニムスは主人公を中心にライトを360度から当てて、影のような蜃気楼のようなものを浮かび上がらせるシステムです。いったいどういうこと?となりますが、ある意味映画の上映と似ているんです。

つまり主人公のDNAを映画のフィルムのように見立てて、そこにライトを当てることで過去の映像を浮かび上がらせるという手法なのです。これは映画という媒体だからこそ光る面白いオマージュのように思えます。

これにより外部の研究者たちが光を当てた結果を映像として解析するというのが映画版のアニムスの役割だと思います。そうして再現度を高めるためには過去の人物の思考回路なども正確にトレースする必要がありますが、これはある意味役者としての働きなのかもしれません。

映画というのは脚本に書かれたキャラクターを俳優が演じます。その演じ方にはキャラクターの性格をトレースすることが重要になります。だからこそ映画版のアニムスでは役になり切るかの如く、強制的に脳を操作して過去の人物になり切ることでより鮮明な映像を作れるという仕組みなのではないでしょうか。

なのでただベッドで寝てるだけのゲームよりも、映画としてアクションを取り入れつつその表現を変えることができていて非常に良い変更点だったと思います。

 

エデンの果実の説明の少なさについて

賛否両論ポイントだと思います。ゲーム中のエデンの果実は非常に強力で人を明確に操り幻覚を見せ、波動すら出して気絶させるほどの強力さです。さらにテンプル騎士は歴史上のあらゆる事件で秘宝を使い暗躍していました。

映画版ではテンプル騎士はそもそも一度も秘宝を手にしたことがありません。なのでゲーム版とは明確に歴史が違います。またテンプル騎士の間でも本当にあるの?と半ば伝説とか法螺になっているらしく危うくアニムス研究予算は打ち切られそうになるほどです。ゲーム版は完全に躍起になっていたのに…と思わないでもありません。ある意味アサシン教団が優秀だった世界ともいえるでしょう。

とはいえエデンの果実の強力性が描写されないのは映画としてまずかったと思います。現代においてはエデン果実の中に暴力性を解明するDNAだとか人の自由意思を奪うDNAとか情報が…などといっています。ですが、それだと過去の権力者が求める意味が分かりません。そんな情報があるだけでは喜べないでしょう。映画版では極力SFチックなエデンの果実の詳細の描写を嫌ったと見えます。

映画での描写はぴかーと光るだけです。おいおい光る球体にどれだけ犠牲を払ってるんだよ…という初見の観客の心の声が聞こえてきますが、ゲームをやってる身からするとアレはヤバイ!となるので温度差が出ます。

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ゲーム中では敵兵を操り同士討ちさせる効果を生みます。さらに接近していると敵兵はのたうち回って倒れます。こんなものを手に入れた人間には近寄りたくありません。映画版でもこの効果が描写されていたら…。

 

アサシンに対する設定の変更

ゲーム中のアサシンは鷹の目という第三の目で敵味方識別、痕跡の発見、過去の人物の行動リプレイ、アサシンの鷹の目でしか読めない秘密暗号などに活用されてきました。

ですが映画版ではそれらの描写は一切なし。設定上は暴力的な遺伝子があるとかなんとか。いやいやアサシンの遺伝子の本質的なものは暴力とは関係ないはずでは。

というか映画冒頭で「秘宝を守るために我らはあり…」とか言ってて大丈夫か?と思いました。いやいやアサシン教団って秘宝のためじゃないでしょ、人間の自由意志の為でしょ!アサシンの信条(クリード)がメインテーマなのに秘宝の守護をメインに据えちゃ意味が違う…と思わないでもないです。

もちろん秘宝も大事ですが、一番は人々の自由思想の保護ですというのを強調してほしかった。映画では秘宝を巡った戦いに終始しているように見えます。きちんとアサシン教団とテンプル騎士の思想の違いを描写してほしかったですが、それは尺が厳しいということでしょう。そうなると設定の薄さはわかりやすさ優先かな…と思います。

 

お母さんなんで死んだの…?

主人公の母は父親に殺されることを選んだということですが、いったいなんのために死んだ?と疑問に思う人が多いようです。これは映画中に描写されていると思うのですが、アブスターゴに拉致されてアニムスで先祖の記憶のリプレイ(映画中では退行という表現)されないようにするためです。死んでいる人間からは脳波を測定できない(はず)なので死ぬことで秘宝を守護する、教団の信条に殉ずるということでしょう。そして父もそれに従うつもりだった。子供を殺して最後は自分も死ぬつもりだったのでしょう。無理心中のようなものです。

しかし最後の最後で子供に未練ができてしまい逃がす。父親父親でアブスターゴに連れ去られ廃人になります。なぜ廃人になってしまったのか。それは映画版のアニムスは自主的にリプレイしない限り廃人になると説明されているからです。父親は自分で死ぬことも、子供を殺すこともできず中途半端に選べないまま、それでもアブスターゴに協力することを拒んで消極的に廃人になったということでしょう。

それと対照的に息子は自らアニムスへと入り込み、自らに流れるアサシンとしての血に目覚めて教団の信条に従って行動する…ということなのでしょう。まあ主人公の豹変が急すぎて若干ついていけませんが。おそらく流入現象が激しくなりすぎたのでは、という感じです。

 

総評

ゲームをやって映画を見てみて、うん、ゲームを超えるのってホント難しいんだなあと。ゲームをそのままなぞった実写映画だとやる意味ないです。だってゲームあるじゃんと言われておしまいです。

そう考えると実写で見栄えよく、新しい設定で描かなかければ…という最初からハードルが高い状態だったので、これは仕方ないかなという感じです。もう少しゲームのIFとか派生作品として描いていれば…という気もしますが新規層を取り込みたかったのでしょう。その割に新規層がついていけない作品になっていてうーん…という感じです。二兎を追ってしまったのか。

映像は綺麗ですし、魅せ方もきれいです。アクションも素晴らしく演技もよかったです。ただストーリーに説明しきれなかった部分があったのは残念です。どうやら他の方のレビューによると主人公の来歴などはノベル版が詳しいそうです。そちらも機会があれば見てみようかなと思います。

アサシン クリード〔公式ノヴェライズ〕 (ハヤカワ文庫NV)

アサシン クリード〔公式ノヴェライズ〕 (ハヤカワ文庫NV)

 

 しかし、この映画で監督は何を伝えたかったのか。これがまったくわかりませんでした。アサシンの魅力なのかアクションシーンなのか。なんていうか、ひたすら設定の説明をなぞられただけの映画に思えてしまいます。私があまり映画のメッセージを読み解けるほど目が養われていないだけかもしれません。

アサシンの信条をメインテーマとして扱っていたのか?ということに疑念を抱いてしまいます。アサシンクリードの物語は人間の自由意志についてどのようにあるべきかをアサシン教団とテンプル騎士団の対立によって浮かび上がらせるゲームです。

秘宝はその争いの火種となるアイテムなだけであり、秘宝そのものがメインテーマではありません。ちょっと映画版ではその辺の説明が足りなかったため、うまく観客に対してメインテーマを提示できていなかったのではと思います。そういった意味で残念でした。