かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

英語を勉強しててよかったなあと思うとき。力抜いたときにふと役立った経験。

 

英語を学んだことが生きた瞬間というのを実感したことがある。友人が買った安物のおもちゃの裏に書かれていた注意書きを読もうとした時だ。そこには多国語で注意書きが書かれていたのだが、日本語はなかった。

 

しょうがないので英語を読んでみるとすいっと読めた。誤飲しないでくださいとか色々書いてあったと思う。英語を分解して読もうとせずにただ英語としてなんとなく感じ取るように読めてしまった。英語を勉強しなくなって何年と経つのに、普通の文章のように読めた。その内容を友人に伝えてみると「英語読めるんだーすごーい」と言われて、振り返ってみて初めて気づいた。あれ?なんか英語自然と読めた?あれれ?という感じだ。

 

受験の時に先生から外国人は英語を英語として読んでいるから早いんだ、君たちも英語を英語として読みなさいと言われていたのを思い出す。当時もチャレンジしたものの、いやいやSVOCが…というかこのwhichってなに…?関係代名詞…?単語も読めません…という感じでそれどころではなかった。何より時間もなく問題を解くための手法がもっとも優先されるのだからしょうがなかった。

 

そうして受験英語がずっと昔になったころにふと読んでみて自然と読めたのは面白かった。なんていうか、緊張する必要のない非常にリラックスした状態だったのがよかったのだろう。英語を読まなければ!という強烈な前のめりの姿勢じゃなかったのが功を奏したのかもしれない。気合を入れずに流し読みできたのはよかった。

 

ある意味勉強している当時では実感できなかったことだろうと思う。たくさんの単語を暗記したりしていたが、それが活きて自分の為になっている実感はなかった。自分にとって英語の勉強が自分の将来の投資になっているとは思えなかった。だが、何気ない日常のシーンで自然と身についていたものが発揮された瞬間があってびっくりした。

 

こういったものを活かそうと躍起になっている時には発揮されずに、自然と力抜いた状態の時にふと思いもよらずに役立つというのはなんだか芸は身を助けるとか昔取った杵柄とかそういう感じなのかもなあ…と感慨深く思った。