かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

本を読むのも文章を書くのも今は運任せにしている

 

本を読むことと文章を書くことというのは表と裏、入力と出力といったセットのように語られることが多い。小学校でさえ本を読んだら感想を書かなきゃいけないし、教科書から学んだことをテストで試されなきゃいけない。

 

なかなか窮屈なことです。ただ、何かを強制されない読書と文章を書くことというのは運任せでもよいのではないかということを書きました。しかめ面をして文章はこうあるべきだー!として書く段階ではないときもあるのではという未熟者の意見です。ただただ運任せにだらだら書いてみた結果にこそ次へのステップのヒントが見えることもありそうだな、と。

 

本に出合うのは一期一会の無意識的な運任せ

本を読むというのは基本的に運の要素が強いんじゃないかと思う。まあ人生の選択すべてに運命ですよと言ってしまえば陳腐だが最近はなんとなくそう感じている。ある本を手に取れる、選んで読むというのは幸運なんじゃないかとさえ思う。その本に興味を持って手に取るというのは意外とハードルが高い行為だ。

 

例えばまったく興味がないのに、ふと本棚の中で目についた園芸の本を手に取る確率というのは非現実的なまでに小さいだろう。もしもその本をとるならば人生の中で何かの経験があるとか、誰かが言っていたという影響などがあげられるだろう。もしくはお店のポップや雰囲気が好きで、以前にもポップが気になった体験があれば引っかかって読む機会が訪れるかもしれない。

 

その他の一般に言われる趣味の類というのは出会いがないと始まらない…というのは当たり前だ。だが、本を読むというのは数ある中の本一冊一冊を毎回選び取って読んでいるというのが面白いと思う。

 

Twitterのタイムラインに流れてくる情報のどれを読み取って反応するか?ということにも関連しているかもしれない。要は自分がより接したい、知りたいと思っている情報に巡り合うというのはなかなか稀有なことじゃないかなと思う。そして何気なく新しい情報や知らなかった知識に出会うというのは、アンテナを広くしていない限りありえない事なんじゃないかと思う。

 

書店に行って本棚をだらだらと眺めつつ気になる背表紙を見て抜き出して、気に入ったフレーズや面白い章がないか読むのが趣味なのだが、これは自分の調子とか考えてることに無意識が反応してくれないかな?と思ってやっていることだ。陳腐な引き寄せの法則というのは好きではないのだけれど、なんとなく知りたいな、興味があるなと思っていることになるべく引っかからないかなと思って探している。無意識的な運任せのような感じで本屋さん巡りをするのがなかなか楽しい。わりと目が止まったな…なぜだ?と思いつつその本を読んでみると案外理由がわかったりする。

 

以前に記事を書いた「最新ピラミッド入門」なんて本も目に留まったから読んだ。まあこの場合はフレーズのすぐには飲み込めない矛盾しているようなタイトルと歴史的ロマン、そして「どう考えてもこの人は絶対ピラミッド大好きすぎるだろうな」という予想で、ピラミッドオタクという新ジャンルの人の話が面白そうなので立ち読みしたという感じだ。

 

記事を書くのは自分の心の整理とタイミングの運任せ

さて、本を読むとか選ぶのが運任せだとしたら表裏一体とされている「書く」ということも運任せでいいんじゃないかなと思い始めた。ブログを書いてまだ日が浅いものの、書き始めて思うことがある。それは今日はなんとなく書きたいと思ってたネタが書けないなあ、とか書くものがない、逆にどうしても書かなきゃ!という義憤にかられた気持ちになったり、落ち込んだ気持ちを吐き出すように書くこともある。

 

結局本を読むのも文章を書くのも、どちらも実は心の動きに影響された活動なんだなあと思う。だとすれば意識的にコントロールできる部分とできない部分があって当然だ。人間の心なんて自分自身が正確にコントロールできるほどわかっちゃいないものである。だとすればまあ、一期一会、運がよかった悪かった、タイミングの有り無しでもいいんじゃないかとゆったり構えてもいいのかもと思う。

 

もちろん仕事の締め切りが差し迫っているとどうしてもアイディアをひねり出さないといけなくてもだえ苦しむ人は多いと思うが、基本的に創作活動なんて締め切りを守れる人はなかなか少ないものだ。それは人間らしい活動そのものの結果なのかもしれない。人間山あり谷あり、創作活動なんていうほどブログ記事が高尚かは置いておいて精神的な活動をするときの波の上がり下がりはしょうがない。

 

まだまだ書きたいと思うこと、過去に色々体験したことを書きたいなと思って下書きに突っ込んではいるものの、それを清書していざ記事へ…!という気持ちになんとなくならない時のほうが多い。そういう時はどこかしら何かが足りてないとか自分の覚悟が足りないとかそういうことでいいかなと思う。

 

成長することは大事だけど、方向を見失わない成長をする

この運任せというのはランダムという意味でもある。方向性のない無秩序なものという意味で、どこに飛ぶかわからない、定まっていない状態のようなもの。ただ、本当の意味で無秩序にはなっていないと思っていて、むしろ記事を書けば書いた分だけ不思議と集まってくるものがあると信じている。そうしてみたときに自分が本当に書きたかったもの、書いてて楽なものだとかそういったものが見えてくるのではないかと思う。

 

そうなったときに自分の得意なジャンル、書きたいジャンル、うまくいいたいことがあることに対して、的を絞ってランダムさを絞り込むことができるんじゃないかと思う。こうなったときは非常に楽な書き方、職業的な書き方へとシフトしていくのではないかと思う。あるジャンルについて自由に書けと言われたときに、初心者ならばあてもなくふらふらと書かなければならないが、ある程度自分のスタイルとネタの範囲と自分のランダム性の範囲を知っている人ならばある程度コントロールして書き切れるはずだと思っている。

 

そうなると記事の品質だとか文章の硬さ、柔らかさといったことにも気を配ってますます熟達していくのではないかなと思う。それこそが方向性のある成長をした人の証だと思っていて、自分もまずは何が得意で、何を書きたいのかというのを量を書いてみて測定しようと思って日々の更新を続けている。まだまだわからないことだらけで、毎日実験を繰り返して、結果を積み上げてみて見定めている最中です。だから今はただ運任せにひたすら書いてみているという姿勢でいいかなと思っています。