かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

研究における危険な逆鱗ポイントを思い出した

 

研究の進捗報告で教授の地雷を思いっきり踏み抜いた経験を思い出したので書いてみる。ホント当時は冷や汗ダラダラ、足と手がガクガク震えて泣きそうなぐらい怖かったです。まさかあそこまで激怒されるとは…と思い出してもヤバいです。こんなにヤバイ記憶を今まで思い出さなかったのはトラウマでしょうか。時間によって思い出の美化効果が十分発揮されてトラウマを隠していたのでしょう。ですが、うーんここ最近ブログを書いてみて過去を掘り出した結果、うっかりでてきてしまいました。

 

よかれと思って一人で頑張って大炎上、大爆死

さて、どういった経験だったのか。それはある日の進捗発表の時でした。自分にとっては自信満々な進捗発表になる予定でした。前回の発表ではほとんど進んでおらず、まともな報告もできてないと怒られていましたが、今回は目覚ましく進捗が出ました。なので珍しく褒めてもらえないかなーと…脳内お花畑だったのです。(※死亡フラグ) そのころは、まだ進捗報告の大切さをまったくといっていいほど理解していなかったので悲劇が起きてしまったのです。

 

何が教授の逆鱗に触れてしまったのか。それは勝手にあれこれ想像して、勝手に新手法などを適用しまくって研究を進めてしまったことです。え?自主性の表れでいいことやってんじゃん?と思った方。これがとんでもないくらい逆鱗に触れてしまったのです。自分も積極性の表れだと信じていました。ですが現実として教授は大噴火で…そこまで怒らなくてもいいじゃん?と思っていましたが、今思うとうーん、そりゃ当然かもしれないな…と反省しています。結局として問題なのは報告せずに事後承諾の形にしてしまったということ。これは教授を置いてけぼりにして指導なんていらねえという表示に見えてしまうから大変危険なのです。

 

お怒りポイントの分析

今更分析する教授のお怒りポイントを挙げてみたいと思います。当時も散々怒られ罵声を喰らいましたが、精神衛生上その発言を記憶はしておらずほんのりとニュアンスと禁則事項としてなんとなく覚えているだけなので、ここから先は自分の理解した言葉で書きます。

  • 前回の研究進捗の発表から大きな方針転換をしているにもかかわらず教授の判断一切なしに進めている点
  • 研究進捗として出している結果が一見多いようだが、単に新手法を試したくてあれこれ結果をだそうとして自分で満足しているだけ。研究の方向性としてまとまりがなさすぎる
  • その新手法の妥当性についてきちんと考えられているとは思えない。論文から拾ったというが、その論文の妥当性について検証できているのか。影響力のある著者や過去の手法との比較は自分でできているのか疑わしい
  • 今自分がいったい何を重視しなければならないのか見えてないんじゃないか。単に結果を求めるだけでは何も考えていないのと同じ
  • いつから教授より偉くなったと思ってるのか。教授の意見を聞かずに自分勝手に進めるなら一人でもいいということだよな?放り出すぞ

はい。最後は心底震えるトラウマワードでした。ああ、どうして忘れていたのに思い出してしまったのだ、自分…。泣きそう。ホント最後のはヤバさがヤバイですね!ちょっと現代的に萌えっぽくデコレーションしましょう!

  • 私(教授)にちゃんと相談して。頼ってくれないと寂しいから。いっしょにやろ?

ぐらいにしておきましょう!ふぅ…。ちょっと心臓バクバクでしたけど落ち着きましたね!大体のところ、学生が勝手に暴走したのに拗ねてる教授くらいのポジションにしておきましょうか!精神衛生上!

 

なかなか強い言葉が並びましたが、要するに勝手に進めるなよという感じです。ただ、これだけの言葉だとパワハラだとか学生の自主性を奪うものだ!という反発を買いそうですが、そうではありません。大切なのは、やっぱりちゃんと相談すること、報告すること。そして考えを伝えること、合意に至ることです

 

死亡フラグ建設に至った背景を分析する

まず、前回の進捗がボロボロだったというのが死亡フラグでした。そして報告がなってないということで怒られています。この時点でだいぶ教授のボルテージは上がってますね。教授としてはたとえボロボロでも、隠さずに何故ボロボロになったのか、改善策はあるのか、今後どうしていくのかという予定が欲しかったのです。また学生からの相談も受け付けていましたが、自分が頑張ってないせいだ…というちょっと方向音痴な自分責めをしていたので、相談できなかったのです。

 

そして見当違いな努力をして挽回しようと焦った。これもまた死亡フラグです。あれこれ新手法に飛びついて結果が欲しいと焦るのは近視眼的すぎました。新手法というのは特効薬のように見えますが、ある意味邪道だったり、正道とは少し違う尖った用途であることが多いのです。それが自分の研究にマッチするのかを正確に考えて使わない限り素人の生兵法以上にはなりえません。教授のそれよりもやるべきことがあるだろ!という叱咤が飛んでくるのも無理はありません。古今東西、手柄を焦ると碌なことになりませんね。

 

で、勝手に進めて、やっぱり報告が後回しになったというのは教授からしてみれば前回怒ったポイントを無視して、また同じことを繰り返しやがった!という激おこポイントだったのです。自分のことや進捗のことばかり考えていると報告はつい後回しにしがちですが、むしろ報告のほうが結果よりも大切ということもあります。軽視されがちですが、ちゃんと報告ができてこそ結果が活きるということをお忘れなく。

 

だいたいのところ教授の目は肥えています。論文を読んだ数では比べ物にもなりません。それが信用できるかできないかについてもある程度目利きできます。美術品の真贋を見分けられるように。もちろん新規の研究分野では教授の鼻が利かない分野もあるでしょう。ですが、培ってきた基礎分野の重さには耳を傾けたほうがいいです。たとえ新規の分野だとしても、その教授が基礎を持っているからこそ研究ができるのです。

 

もし教授が本当に何も知らずに自分だけがその分野で戦おうとしているならば…それはもうスーパーエリートというか、孤独の戦いなので何も言えません。ただ、普通の人がバックアップなしで生き残れるほど甘くはないと思います。

 

やっぱり報告と相談だよ。そして合意して生き残ろう。

陳腐ですが、やはり報告と相談をして合意に至るのは生き残るコツです。考え方としては教授というのが株主や大会社の社長として見ましょう。自分が経営者的な立場だと思ってください。会社というのは株主、社長の意向が大切です。これらの方々の賛同や合意なしに突如として大規模売買や経営の方針転換を行おうものなら、どんなことが起きようと不思議ではありません。普通はそんなこと許されません。

 

許可をとるよりも怒られるほうが簡単というのはスタートアップ界隈でもてはやされていますが、それには切り捨てられる覚悟が必要です。そこまで自分の身を危険にさらすのは学生の生存戦略として正しくはないと思います。うるせえ!俺は俺だけの新しい研究がしたい!というのは、もはや独立宣言と受け取られても仕方ありません。

 

研究を教授のバックアップなしでやるというのはスタートアップの金のない状態と似ています。だいたいのスタートアップはつぶれます。同じように自分の研究で起業しようと思えるでしょうか?そうは思わないと思います。自分の好きなことで食っていくというのはカッコイイですが、研究はメシが食いにくいことで有名です。自分でメシのタネを狭めて息苦しくするような真似は一般人を自負するならばやめたほうがいいでしょう。

 

ですから、株主や社長のバックアップを最大限に受けられるように味方にすることは、とてもいい戦略です。株主がたとえ何もわかっていなくても彼らは出資者です。出資者の機嫌を損ねるよりも、ちゃんと説明して抱き込んだほうが生存しやすいのは自明です。また株主と仲良くなり、互いの理想や理念を理解しゴールを調整できれば最高に楽しく進めることができます。不意の協力を得ることもできるでしょう。不要な敵を作らないというのは立派な生存戦略です。

 

大株主の機嫌を損ねる真似はやめましょう。ただ媚びを売れと言うわけではありません。大切なのは尊重する姿勢です。ちゃんと意見を聞いて、互いに合意を得ることを目標にすることです。株主の意見を間違ってるからダメと切り捨てるのではなく、一度検討してみたり、シミュレーションしてみたり、試したりして結果を示すという姿勢が尊重している、自分の意見を大切に扱ってくれていると感じさせることになります。人間は無視というのが一番の大ダメージになります。きちんと意見を受け止めて、そのうえで自分の意見を織り交ぜたりして互いを納得させるゴールへと導きましょう。

 

おわりに

自分であれこれ勝手に進めるというのは自主性の表れとして褒められることかもしれません。ですが、一歩間違えると暴走だとか軽視している、軽んじられていると見做されることもあります。この時に喧嘩をせずにきちんと報告して合意を取り付けることで互いにとって生存しやすい環境になります。

 

もちろん自主的に動くことを推奨しているところは居心地がよいでしょうが、反面いつの間にか道に迷ってしまうこともあるでしょう。そうしたときにいちいち長々と説明する手間がかかるよりも、こまめに報告することでお互いの時間が少し省けることでしょう。

 

結果出せば文句ないだろう、ではなく定期的な報告と意思決定の相談を行うことは教授とのコミュニケーションを大切にしているという証にもなります。先にも書きましたが報告がなければ何もしていないと認識されてしまうのです。

 

だとすれば焦らずに小さく進捗、成果を報告することはあたかも小さくバックアップをとるような、セーブをするような慎重なゲームプレイに似ています。そうすれば不慮の事故にも備えられます。

 

自主性を認められなかったと思って落ち込むのではなく、そこまでの気合があるならば積極的に細かく相談したほうがいいと思います。たとえ小さなことでも。大切なのは教授の存在をきちんと視界に入れて、いっしょに進むこと。これを誤ると地雷原へとうっかり足を踏み入れてしまうことにもなりかねません。ご注意ください。