かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

失敗から学ぶユーザーインタフェースが非常に面白かった

 

初めて入った飲食店でシステムがわからず居心地悪くなる現象

例えば旅行中、ふと気になった繁盛しているお店に入るとする。または人気ラーメン店の食べ歩きなんかでもいい。初めて入ってみると、すでにお客さんがおいしそうに食べていて店員さんも忙しそうだ。なかなかこっちには来てくれる様子がない。そうすると居心地がだんだん悪くなってきてそわそわして周囲を観察しだす。うーん、ここは券売機で食券を購入するタイプか?それとも勝手に席に座るタイプだろうか。やはり店員さんを待つべきか…。

 

そうして自動券売機が店の良く見えないところにあったことが発覚しあわてて操作をしようとするが、どれを選んだらいいのかわからない。うーん、自分の食べたい奴はどの行のどの列にあるんだろう?そうしていると後ろに並び始めた人からイライラが伝わってくる。すいません、不慣れでごめんなさい…と謝りたいところだが、そうじゃない。

 

悪いのは間違いなくデザインだということ。初めての人が戸惑わずに目的のものを選べるかどうか、というのはデザインの見せ所だ。そもそも何か操作を伴うものに対して注釈を加えるためのデザインというのは、明瞭であることが絶対条件だ。そのことをさしおいてお客さんに負荷をかけてはいけない。ましてやお客さんの操作が下手というのはお門違いである。

 

そんなユーザインタフェースとしてのデザインが間違っているものをまとめた本を読んだので少し感想を書く。

 

世の中の不思議なデザイン集

badui.org

こちら、badui.orgというサイトのまとめ書籍と思うのだが、冒頭から非常に面白かった。もちろんサイトのほうもとっても面白い。例えばリンクのクレープ自動券売機なんかはインパクトがありすぎる。

 

全てのボタンに”クレープ”とだけ書かれていて、値段がそれぞれ280円~500円まで並んでいるだけである。初めて券売機に並んだ人はひょっとして量り売りなんだろうか?と考えてしまうかもしれない。しかしこれは別なディスプレイに並んでいる商品サンプルの価格を覚えて買わなくてはならないというシステムらしい。いうまでもなくひどい。

 

こういった酷いインターフェースをまとめてBad UIとしてまとめている。この手のデザインについてのバイブルは「誰のためのデザイン?」だろうが、こちらはアメリカちっくな例があまりに多く、ちょっと時代的にも古い。上記の本では、現代のWebの入力フォームや新幹線の券売機などについて数多く触れていて日本人によくマッチしていると思う。写真を見て「…?」と謎解きをするように楽しむのも面白い。当然正解なんてできないほどひどい例ばかりで笑えて来る。

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論

 

自分の適応力が足りないではなく、デザインが悪い

こうした本を読むと自分が普段間違ってしまったり、おっちょこちょいなことをしてしまうとき、ひょっとしてデザインが悪いんじゃないか?と考えることができる。このデザインというのは”見た目”だけの話ではない。

 

例えばブログ記事を書いている時に、ふと前のページに戻ってしまったり、場合によってはブラウザを閉じてしまい原稿がパアということを経験したことはないだろうか。こうした時なんて愚かなんだ…と責めてしまうかもしれないが、それだけでは根本解決にならないかもしれない。

 

自分が賢ければ間違わなかったと考えるのではなく、その”やりかた”、”環境”、”操作手順”などに問題があった。つまり”システム”の”設計”が悪かったのではないかと考えると違った考えが浮かぶかもしれない。

 

そもそも原稿をWebで書き上げるのではなく自動保存のきくテキストエディタなどで作ってしまえばバックアップもできるし安全である。文章を打つということだけの機能を追求して他の操作を排除すれば事故の確率はかなり低くできる。こういった手順や方法を見直すことで失敗を防げるかもしれない。これもまたデザインと言えるのではないだろうか。

 

おわりに

人間というのは誤解や誤認が非常に多い。これは曖昧なものを把握したり抽象的なものを理解できる機能を持っているからだ。となれば明瞭に把握できるデザインでなければ人間側が勝手に「気を利かせてしまう」のだ。

 

だからこそ気を使わせないように優しく導くようなデザインが必要になる。人間という動物が持つ機能に対して過剰な期待をかけたりせずに、むしろあいまいな部分やちょっと抜けている部分を積極的に受け入れてよいデザインを心がけることで人間的に快適な生活ができるのだと思う。