追記:映画版を見てきましたので、感想記事を書きました。映画版の感想に興味がある人はコチラへどうぞ。以下の本文は小説版の感想記事ですのでご注意ください。
ついに映画化された大人気小説
タイトルの元ネタはちょっとコンビニ行ってくるのAAなどが発祥だろう。ここから派生して近年はちょっと田んぼの様子を見てくる、コロッケ買ってくるになったのではないか。そして仕事辞めてくるが生まれた。まあ「ちょっと○○してくる」がネットスラングとして普遍化してるので下手なギャグの解説みたいになってるけど。
内容はブラック企業に入社して半年の新人・隆のお話。疲れ果ててふと線路へと落ちそうになったところを「ヤマモト」と名乗る男に救われる。その男と仲良くなり、仕事のアドバイスや愚痴を聞いてもらったりして徐々に仕事向きがよくなる。しかし「ヤマモト」は同級生だというものの、そんな人間がいたか覚えていない。訝しみ身の上を調べてみると三年前に激務で自殺したはずの人間だったとわかる…。というストーリー。
この疲れ果てて線路に落ちそうになる瞬間の描写は「死ぬくらいなら会社辞めればができない理由」とそっくりだ。明日会社に行きたくないな、今ちょっと立ったまま寝て気を失ってしまえば会社に行かなくていいんだ…と思い力を抜いてしまうのだ。
社会のことを何も知らなかったという台詞
この小説の冒頭に力強い言葉が載っている。一つ上のアメフト部のエースの先輩が3か月で鬱になってしまったという話を聞いたときの大学生当時の主人公・隆の反応だ。
この時はまだ、社会のことを何も知らなかった。
自分のことを社交的だと思っていたし、社会に出ても何となく上手くやっていける自信があった。酒を酌み交わし、他愛のない話をするよううな友人なら数多くいたし、人間関係に深刻な不安を抱いたこともない。
鬱なんて、自分とは無縁の世界だと思っていた。
ちょっと今から仕事辞めてくる P13
鬱になる人間と自分は明確に違うという気持ちが描かれている。多くの人がこんな感じの気持ちだろう。そこそこうまくやって来て、コミュニケーションも普通。だとしたら”普通”問題なんてない。
「スポーツの体力的な厳しさと、社会に出てからの厳しさなんて全くジャンルが違うだろ。先輩はたまたま、そっち方面のプレッシャーに弱かったんだよ。それか、よっぽど会社との相性が悪かったんだね」
ちょっと今から仕事辞めてくる P15
だから、アメフト部であろうとなんだろうと問題を小さく見る。”たまたま”人間として弱かっただけ、社会に適応できない人だっただけ、会社と相性が悪かった。だから自分には関係ない。問題はその人自身にあるという漠然とした理解だ。
「本当にできる人間って言うのは、どんな環境にいてもできるんだよ。社会に出てから一番重要なのは、体力でも、我慢強さでもない。頭の良さだ。どんな人とでもやっていける適応能力だ。要は『人間力』がある奴が一番強いってこと」
ちょっと今から仕事辞めてくる P15
ここらへんは努力信仰というか、できる人間信仰ともいえるのか。できない人間とできる人間の明確な区別だ。できるorできないで全て区別される。優秀か優秀じゃないか。適応できるか適応できないか。問題は全て結果から計算されるような考えだ。過程に対する評価や内心の想いなどは考慮されづらい。傍観者からは確かにそう見えるのは当たり前だろうが。
もしもタイムマシンがあったなら、あの時に戻って、得意満面に話している俺の胸倉をつかみ、「黙れ、馬鹿野郎!」と怒鳴ってやりたい。
ちょっと今から仕事辞めてくる P16
そうして社会に出て半年、たっぷりと疲労困憊になり自分自身が鬱に片足(もはや両足だろうが)つっこんだ主人公は過去の自分に対して罵声を浴びせる。
もうすでに自分自身を許せなくなっている、こういう発言を流せなくなってしまっているところが病んでいる証拠のように思える。ちょっと疲れているぐらいなら、あああの時は若かったと苦笑いするところだろうけど、掴んで怒鳴りたいというのはストレスが溜まってる証拠だ。おそらく赤の他人や後輩が主人公に向かってわかったような口を聞いたら即座にぶん殴るだろうと予想される。心が荒れているんじゃないかと思える文章の描き方は非常に巧みだ。
ガンガン病む
その後仕事のミスや上司からの叱責などですっかり自信を無くしてしまう。「ヤマモト」に会ってから少しリフレッシュしてうまくいってたのに、すぐに叩きのめされる。そうしていると「ヤマモト」はしきりに転職を薦めるようになる。だが隆はそれを受け入れられない。入社してまだ半年。実力もなくすでに自信も無くし、心を病んでしまった人間には何も響かない。
たとえ転職したところで、俺は社会で活躍できるような人間じゃないし、そもそもこんな使えない男を雇ってくれる新しい会社なんて見つかるわけがない。
社会のゴミでしかない俺を置いてくれるこの場所に、俺はい続けるしかない。
いつか、あの南京錠が、開くことを夢見て。
ちょっと今から仕事辞めてくる P105
本編は232Pほどあるのだけれど中盤でこの病み具合である。というかこの段階に至ったらまず間違いなく病院に行ったほうがいい。というか有給なり休みを入れないとまずい。この文章中にはとんでもなくヤバイポイントがいくつもありすぎる。
まず自分自身を”使えない”、”社会のゴミ”とか言い出したら要注意信号だ。自分自身に対する評価がとんでもなく低い。自己肯定感の喪失である。なによりこの評価は”周囲”からもらうような評価である。自分自身は”使える”、”使えない”で評価するのは変だ。
自分は使える人間ですとアピールするのはなかなか奴隷根性がありそうなものだ。逆に使えない人間ですという人は物悲しい。人に使われることが前提なのはつらいことだ。自分の自信や主体性を傷つけられるとこういう評価に陥りやすい。自分自身を責め立ててしまった結果でもある。
で、次はこの場所にい続けるしかない、という表現についてはわからないでもない。ミスばかりしてしまい周囲に負債があると考えてしまう。自分自身に責任感が強すぎるし、もしかすると過度にしょい込んでるか職場から圧力を受けている証拠だ。そもそも新人で半年しか経験してないのにここまでミスを追い込まれるというのはありえない。
最後はもう全力で止めなきゃマズイ事例である。これは屋上の鍵についてなんだけど、自殺ほのめかしだ。自分が生きてる価値がないと思ってしまっている。ここまで思いつめていることを人には話せない。周囲の人がこういった危険信号を拾えるかどうかはかなり運任せだろう。この文章が日記の一文にでも書かれてたら間違いなく有効な証拠になるだろうと思う。なんとかここまでの心境を対話によって引き出すか、ちょっと嫌な予感がしてきたら病院に強制にでも行かせたほうが後悔はないだろう。もしくはこの本を渡してみてもいいかもしれない。
おわりに
小説の序盤~中盤にかけての見どころのある文章を自分なりの視点を交えて書いてみた。ここから後半にかけても素晴らしい文章がぞくぞくと並ぶ。”スカッとできて最後は泣ける”という書評通りの展開だ。「ヤマモト」の正体と隆の心境の変化、そしてタイトル通りの「ちょっと仕事やめてくる」に至るまでの過程のストーリー。
この小説が第21回電撃小説大賞の受賞作になったこともすごい。物語の展開の見事さもさることながら、この題材がきちんとうけとめられたということではないか。電通の過労死問題もそうだし、「死ぬ辞め」の出版といい、どんどんブラック企業と社会人のQoLにきちんと目が向いてきている証拠のように思う。
映画版の映像の良さにも期待がかかる。ヤマモトの性格を表すような鮮やかな服装とそれに対する隆のちょっと泣きそうな表情の演技がよさそうだ。会社にいるときは明かりも暗く、帰り道もほぼ終電なのでかなり暗い。そんな中でヤマモトとあっている時は青空が背景になっているのがいい。
なんていうか、サボローを思い出した。こういう一緒にいてニコッと笑って手を引いてくれる、夏休みのような奴が友達にいたら本当に幸せだろうな。そしてそんなやつの物語がきっと「ヤマモト」がでる「ちょっといまから仕事辞めてくる」だろうと期待している。