かやのみ日記帳

読書の感想や思想を書いています!

トイレが広くて清潔なお店が好き。

 

トイレで見るお店の評価

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昔からトイレを清潔にしないと罰が当たるだとか運が悪くなるという話をよく親から聞かされていたからお店のトイレにも少し敏感なのかもしれない。自分が居心地が良いなと思えるお店の評価には必ずトイレの居心地の良さも入っている。どんなにいいお店だったとしてもトイレが汚いとどうにも受け入れがたい。

店内が汚いのにトイレがキレイといったことはほぼない。お客さんに対しての意識が低いお店の気持ちがトイレに表れているんじゃないかと思っている。よく靴を見ればその人がわかるなんて言うけれど、同じようにお店のトイレを見ることで清掃に対する意識やお客様への心遣いのレベルを見て取れる気がする。

都心ではトイレのスペースが狭い。お店の売り場面積を稼ぐためにとても小さく作っているのが見て取れる。中にはドアが完全に開かないぐらいキツキツのトイレもあった。こういうお店は本当はトイレなんか置きたくないんだろう。扉が上手く開かず中に入るのも苦労するなら当然掃除なんか行き届くわけがない。さっさと買って帰ってくれとかとっとと食って帰ってほしいという忙しさの表れだろうか。

 

また行きたいなと思えるお店の基準

ただ大手のお店なんかはわりと大きめにトイレのスペースをとっている。トイレのスペースに余裕を持てるのは、余裕のある経営やお客様への心配りの表れなんだと思う。たかがトイレ、されどトイレ。お客様が落ち着いて過ごす必要のあるスペースにどれだけお金をかけられるのか。そのへんの意識の違いが如実に表れるのだと思う。

トイレが広いお店は本当に助かる。ちょっとピンチの際に、あああのトイレは清潔だから入りやすいと感じるのだ。そうするとまたこのお店に来たいな、いつでも安心して行けるなと感じる。トイレはある意味お店の安全度を示しているのかもしれない。人間の生理的欲求を満たすスペースであるためだ。

逆にトイレが汚いお店はピンチの時もなるべくなら行きたくない。駅のトイレなんかは非常に多種多様な人が利用していて清掃が追い付いていないことが多く、非常に汚いから極力避けたくなる。まあピンチの時は言ってられないのだけれども、少し余裕があるときはどこかのお店で借りるのを選択肢に入れる。自分にとってお気に入りのお店として候補に挙がるだけでもお店としては願ったりかなったりではないか。

 

いいトイレのいい思い出

一度地方のお土産屋さんにお邪魔したとき、トイレの個室が異常に広く凄まじい快適さで驚いたことがある。照明も豪華で華も活けてあるし清掃も行き届いていて完璧だった。お客さんはご年配の方々だったけれど、みな居心地良さそうに景気よく商品を買っていくし接客している人も笑顔だった。自分にとっても大変居心地がよかったので、また旅をしたときに是非ともお邪魔したいと思っている。居心地の良いトイレはひそかにリピータを生むのではないか。

また、個人の家でも少しトイレに思うところがあった。友人にちょっとお金持ちとウワサされている子がいて、お宅にお邪魔した時にトイレの大きさにびっくりした。というか一階と二階にトイレが存在していることが驚愕であったトイレが二つって掃除の手間も二倍である。そんな余裕があるなんてやっぱりお金持ちなんだな…というまさかの格の違いを見せつけられた。

一階のトイレは一般的なアパートのトイレの2~3倍は広く、なぜこんなにも個人の家のトイレが広いのかまったくわからなかったものの確かに居心地は素晴らしくよかった。安心してゆっくり用を足せる解放感がそこにあった。二階のトイレは若干小さ目ではあるけれど十分な広さをやはり備えていた。なるほど心と懐に余裕がある人たちというのはこういった日常の空間の広さがその余裕を生むのかもとしみじみ思ったものである。

 

おわりに

トイレの清潔度というのはあなどりがたく、お店に入ったときの印象にも深く影響するのだと思っている。またトイレを汚いままというのは割れ窓理論のように思える。ちょっとの汚れを放置してしまっている状況そのものが意識の弛みそのものだ。

これは自宅の清掃でも言えるかもしれない。日々忙しいからといってトイレ掃除をおろそかにしてしまうのはよくあることだが、だんだんと自分の身だしなみややらなければならないことを忘れてしまうことにも繋がってしまうのではないか。ちゃんとトイレを磨いてあげて、すっきりと用を足せるような生活をしたいものだ。