かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

ペットショップのハムスターをじっと眺めて思ったこと

 

ふと立ち寄ったペットショップで気付いたこと

ペットショップにふらっと立ち寄ったとき、眠い時間帯だったのかほとんどの動物がお休みしていた。そのなかでも気になったのがハムスターだった。ごろっと横になって白いお腹を見せていて、すやすや呼吸をして寝ていた。このハムスターにちょっと心動かされた。ああ、この小さな動物は生きているんだなあとしみじみ思ったのだった。

 

とっても小さい体で、寝ているのにもかかわらずお腹の上下動は大きい。体が小さい分必死になって呼吸をしているのか。お腹の部分や足に注目してみると血管が少し見えた気がした。そして呼吸に合わせて少しだけ赤みが増えたり減ったりしている。酸素が行き渡っているのかもしれなかった。

 

人間である自分とは大きさとかが違うのだけれど、お互い生きてるんだなあと思った。動物が動いていれば生きている、ということは小学生でも知ってることだけれど、こうして小さな命が寝ている時も大きく呼吸しているのを見ると「生きてる」ってことをまだまだ知らなかったんだなと反省させられた。

 

鳥が飛んでいたり、猫があわてて車道を走っている姿を見かけることはあるけれど、そこに命がちゃんとあるのか?ということを感じたことはあまりなかった。ただ、こうして小さな動物がゆっくり、それでも大きく呼吸して横たわって寝ている姿に命を感じた。ペットショップの店員さんからはこの動物を引き取りたい人なのかな、と思われていたかもしれないけど、実はもっと壮大に感動していたとは思うまい。まあスケールの小さい人間だったのかもしれないが。

 

生きていることの反対を想う

なんとなく生きているっていうことをじわじわ感動的に眺めていると、ふと寝ている姿と死んで横たわっている姿は区別しずらいんじゃないかと思った。生きて寝ている姿と死んで静かに横たわっている姿の違いはなんだろうか。寝ている姿というのは死んでいる状態に近いんじゃないか。そんな風に一瞬考えもしたけれど、目の前にいる小さな動物の姿をじっくりと見てみればまったくそんなことないな、と思った。生きているというサインは寝ている状態でもたくさん発見できる。ときおり鼻がぴくぴく動いていたり、呼吸のたび少し皮膚に赤みがさす。

 

そうして生きているサインを見つめると、ああ死んでしまったらこういったサインがなくなるんだろうなと思った。お腹の上下動がなくなって、赤みがさしていた皮膚が色を失ってしまう。ずっと静かにそこにあるという姿を想像して悲しくなった。まさかペットショップでここまで生死について考えることになるとは思いもよらなかったけど、それでも命って神秘的なんだなあと再び感動した。

 

寝ている姿は無防備だから庇護欲をかきたてられるのか

寝ている姿というのは非常に愛らしい。動物番組なんかでライオンが寝ている姿を見たりすると、寝てる時はかわいいなと思う。人間でもそれはいっしょな気がする。大学の講義中でも気の強い友人がなんとか意識をつなぎとめようとがんばってる姿をみるとほほえましくなる。完全に寝てしまった姿にはお疲れさまでしたと一声かけたくなる。寝ている姿は無防備だからよいのだろうか。素の表情なんて言ったりするものだし、逆に見る側がほほえましいものとして認識するようになっているのだろうか。なんとなく保護欲が掻き立てられるのは動物としての本能なんだろうか。そんなことも考えたりしていた。

 

そうやって小動物や人間の寝ている姿を思うと、ああ子供ができたとき親がかわいがる理由や命に感動するなんて話が分かる気がした。そういった神秘的なものをたかがペットショップでの小さな感動と比較してはいけないのかもしれないけれど、どこかわかったような気持ちに浸っていた。うーん、ペットショップに行って癒されようと思っていたのだけれど、なかなか得難い経験だったような気がする。

 

動物園とはまた違った感じ方をしたのが面白かった。動物園の動物にはあんまり親近感を感じなかった。展示や美術としてのイメージが強いからだろうか。反面ペットショップはこれからの人生を共に過ごそうとするパートナー選びの場所、いわばお見合い所である。そうすると選ぶ際に相性を見たりするのだからより親近感の湧くようなお店作りになっているわけだ。そういった意味で今回感じたこともあんまり不思議じゃないのかもしれないなと思う。

 

おわりに

自分はペットをあまり飼うつもりがないのだけれど、ペットを飼って育った人たちが羨ましい。大人になってから初めて気づくのにはちょっと遅すぎたような気がしてならない。

sakkora.net

子供が生まれたら犬を飼いなさい。

子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となるだろう。

子供が幼年期の時、子供の良き遊び相手となるだろう。

子供が少年期の時、子供の良き理解者となるだろう。

そして子供が青年になった時、自らの死をもって子供に命の尊さを教えるだろう。

【引用】イギリス諺より

ああ、ペットショップで理解したことというのはペットから教えてもらえるちょっとした大切なことの一部だったのかもしれない。動物が活きている姿っていうのは素晴らしいんだなと思う。周りには命とはどういったものであるかとか、命が必死になって生きている姿があるのかもしれない。ただそれをきちんと目に映せてないんじゃないかと思う。だから今後はもう少し普段から目をよくして生きていけたらいいなと思う。