かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

創作・批評は新しいアイディアに対する文化の免疫反応じゃないかと思う。

 

人類が漠然と感じる恐怖に対して作品が求められる

新しいアイディアが出たとき、人類はそれを受け入れようとして創作や批評によって順応するのではないか。これを生体疫学のように見立てて、異物に対する免疫反応に見えるとする話をどこかで見た覚えがある。

 

例えば近年はAIに関する研究が進んでいるが、古くから機械が自分たちで勝手に動き出して人間に反抗したり、支配したりする小説や映画が後を絶たない。こうした物語に対して学者は真面目に議論するときもあるが、問題はそこではない。きちんと学者が説明しても一般の人が”感情的に”受け入れられるのかが問題なのだ。

 

ここではAIという新しい技術が人類に対してウイルスのように振舞うということだ。既存の経済や考え方に対する脅威と人類が感じるためだ。これに対して排斥しようとしたり受け入れようとする。未知の物に対する反応としてたくさんの作品が生み出されるのだろう。これがウイルスに対する反応のように思う。

 

人々はショックを和らげるために文芸作品を読みだすのではないか。自分が感じている恐怖をカタチにしたものを目にして、更に自分の考えや感じ方を考察していく。思っていたよりも怖くないと感じたり、逆にもっと恐ろしいことが起こるのではないかと疑心を深めたりする。

 

もっと範囲を広げてみると、人間は何か異質な考えや新しい環境に適応しようとする際に自ら様々な知識を取り入れようとする。本を読んで、人に聞いて、実際に何か実験を行うこともあるだろう。あらかじめ耐性を作るべくいろんな毒素を取り入れようとしているのかもしれない。

 

例えば大学の研究室に所属する際にどのようなルールがあるのか、また研究室ではどんな事件が起きやすいのか。ブラック研究室の問題について調べる人もいるだろう。新しい環境に対して脅威を感じ、自分の中に抗体を作ろうとする防衛本能なのだと思う。

 

自分の中に抗体を作るために作品を読む

強烈な事件や革新的な技術は人類にとって刺激が強い。例えばカーシェアでトップになったUberに対する日本のタクシー会社の反応がそうだと自分は思っている。NHKのニュースで流れた映像では白い鉢巻きに赤文字で「無認可・白タクを許すな!」と書かれていて、多くの人々が集会を開いていた。Uberは確かに安全性や現行の法律に対するグレーゾーンなのかもしれないが、ほとんど関わりのない一般人の目からすると”新しいビジネスに対する強烈な拒絶反応”にしか見えないのだ。あたかも外からのウイルスに対して戦う白血球のように。

 

ウイルスという例えはミームという観点から見るとあながち間違ってはいないのではないか。文化的ウイルスともいってもいい。あまりウイルスという例えはよくないかもしれないが、説明上はわかりやすいと思う。この反対に位置するのがワクチンとしての作品たちだ。ワクチンというのはウイルスの性質を解析して、その毒性を強めたり、弱めたりして調整する。

 

例えば本という媒体を文化的ワクチンとしてみると面白い。過激な考えに対して丁寧に、冷静にわかりやすく書き下してくれる本はそのまま過激派の主張を聞くよりも非常にソフトに作用する。一歩引いて自分の中に抗体を作ることができる。

 

ワクチンを受け入れる患者は途中で読むのをやめたりしながら、抗体を自らの中に作り出す。読むことを辞めれば安全は保たれる。本という形は文化的ウイルスを受け入れるのにもっとも適しているのではないかと思う。上手くいくと共存したり、自分の身体を強める働きをするかもしれない。ここまではいい例なのだけれど、当然悪化するほうにも影響が出ることもあるだろう。

 

ワクチンが効きすぎると(そんなことがあるのかわからないが…)あまりにも過剰に抗体を作り出してしまうかもしれない。そうなれば既存の考えや細菌を吹き飛ばしてしまい健康に悪影響をもたらしてしまうだろう。こうなってしまえば文化的な疾患なんて言えるかもしれない。

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おわりに

ワクチンやウイルスといった例えを持ち出したのは少し趣味が悪いかもしれないが、この視点をもって本屋さんの売り場を眺めるのが好きだ。本屋の新刊の場所を見てみると今、本を読む人々がどんなことを求めているのか、どんな文化が流行しているのかがわかる気がする。

 

素晴らしい小説や作品というのは、著者本人の意志や意図を超えて勝手に筆が動き出すという。そうした作品が至上である、そういった次元を目指すべきとよく言われる。作者は何かを書かされる、天上からあたかも降りてきたモノをカタチにする、奉仕するべきだとか。

 

そう思うと、本屋の売り場にある作品たちは”ナニカ”に書かされて生まれた作品なのだと思う。世間に求められたもの、無意識に生み出されたものたち。もちろん出版社も売れるものを売らなければならないのだから、もちろん世間に求められているものが並ぶのは間違いない。

 

けれども、結局作品を生み出すのは著者で、そこには著者を動かす”動機”や”アイディア”が必要だ。だとすれば、その動機やアイディアの源泉はきっと外からの影響やそれに対する反応によるものだと思う。…といろいろ考えてもウイルスとワクチンへの考えに回帰する。

 

この優れた人々が”ナニカ”に突き動かされ、生み出すという不思議さに説明が欲しかった。そういった素晴らしい作品がなぜこの時代に生み出されたのか。その理由がもしも文化的に求められていたことなのではないか…なんて考えると面白いのだ。こうした個人の活動と文化という大きなくくりとのリンクを想像するのが、わりと好きなのだ。