かやのみ日記帳

読書の感想や思想を毎日書いています!

TED「創造性をはぐくむには」を見るとアイディアについて考え方が変わる

 

アイディアはコントロールできるのか

 

自分はよくブログの記事を書くのに時間がないとかネタがないと悩むことが多い。”独創的なアイディア”を出せ!なんて無茶振りされた経験はないだろうか。アイディアとはどのようにして生まれるものなんだろう?やはり天才のような天に愛されしものに降ってくるものなんだろうか。それとも血のにじむほど考えた人に与えられる努力賞のようなものだろうか。

speakerdeck.com

こちらのスライドではアイディアの作り方という名著を引き合いに出されている。この本でのアイディアというのは無意識がデータ収集の結果、ある時にふとアイディアが生まれるというもの。まずは無意識に大量のデータを入れ込んであげて、寝てる間も休んでいる間も処理を続けさせる。その後じっくり時間を置くことで発見が生まれるというのだ。だからアイディアというのは偶然ではないと説く。

 

この話も非常に説得力がある。が…ひらめきは本当にコントロールできるのだろうか。そしてコントロールすべきものなのか。それはちょっと疑問が残る。後半の部分で人間の発明の多くは、問題を解決しようとして生まれたものではないという。人間が遊び半分で生まれたものが何かの拍子で役に立ったものの理由の後付けのようなものらしい。

 

アイディアは天才しかつかめない…わけではない

www.ted.com

TEDのこちらの動画では、アイディアとの付き合い方について例とユーモアを交えて教えてくれる。

 

内容をかいつまんでみると、古代ローマなどでは人間に”創造性”なんてものが備わっているとは思っておらず、すべては精霊(これをジーニアスと呼んだ)がお手伝いしてくれると考えた。その結果、すべての作家たちは自分個人の能力の問題でヒット作が生まれるとは考えず、ジーニアスのおかげでヒット作が生まれるんだと信じられた。よってお酒に逃げたり自分を責め立てるような気持ちには幾分ならなかったんだろう。

 

しかし、時代が変わるにつれ人間中心の考えに変わっていった結果、創造性は個人の資質へと変化してしまい作家はヒット作が生まれない苦しみにあえぐようになったというわけだ。

 

この苦しみに対する対処法が自分のためになった。素晴らしい考え方だと思う。

対処法の現代における お手本は― ミュージシャンの トム ウェイツです 数年前 雑誌の取材で会い― この話をしました 彼の人生は 典型的な― 苦悩する現代アーティストでした 扱いにくい創作の衝動を― 制しようと苦心していました 内面の衝動を…

歳をとり 穏やかになり― ある日 L.A.のフリーウェイを走っていて― 全てが変わりました 飛ばしていたら 突然― 頭に 曲の断片が聴こえてきた とらえ難くもどかしい 閃きとして… たまりません 素晴らしくて― 待ち望んだ瞬間なのに― 紙も鉛筆もないんです テープレコーダーもない

いつもの焦燥に 駆られました "これを逃して―" "一生悩まされる" "俺はダメだ 無理だ" 慌てる代わりに 止めました 思考回路を止め― 斬新な行動に出ました 空を見上げ― "なあ 運転してるのが分からないのか?" (会場 笑) "今 曲が書けるとでも?" "書いてもらいたきゃ 出直して来いよ" "面倒見てやれる時に" "でなけりゃ 他所をあたってくれ" "レナード コーエンにでも"

以降 作曲の姿勢が変わったそうです 作風は変わりないですが― 作曲の姿勢と それに伴う不安は― "ジーニアス"を出したら 消えたのです 問題の元を 本来の場所に返し― 葛藤しなくても良いと 気付きました 奇妙で一風変わった 共同作業です 彼と 変わった外部のモノとの対話… 別モノとの対話です

この、「なあ運転してるのがわからないのか?」という問いかけが素晴らしく面白い。確かにタイミングが悪いときに来られても困る。逆に来てほしいときに来なかったりするのでやきもきする。けれど、そんな気持ちを落ち着かせたのが”ジーニアス”という精霊なのだ。自分自身の内側に問題を置きすぎないことが一種の心の安定につながる。

 

だから今こそ、創造性を自分の内側から解放してあげましょうと説く。すべてはジーニアス、精霊のものであると。もちろん個人の努力もあるものの、そこから先は精霊の力を信じてもいい。いつだってアイディアという名の亡霊につきまとわれ、振り回されるような人生を送ってはいけない。

 

自分自身のタイミングのいい時に、ジーニアスの力をほんの少し借りて続けていくことが大切なのだ。自分の力だけで続けていくのはかなりの孤独を要する。自分を責め立ててしまう前に、自分を追い詰める考えから抜け出すというのは大切だと思う。

 

おわりに

ブログや何かものづくりやアイディアを日常的に必要とされる生活を送っていると、時々自分をものすごく責めてしまうことがある。こんなことになる前にアイディアを何故貯めておかなかったんだ!とか、日常で思いついたアイディアを拾っておかないからこうなるんだ!とか。自分の内側にある創造性を信じているからこそ、一滴も逃さないような生活を送らなきゃいけないと固く信じてしまっている。

あるいは日常のすべてをネタにつなげないといけないと信じてしまっている人もいる。ブログを毎日書こうとすると確かにネタになるものはないかと探してしまうこともある。けれど、そんなことを続けていると自分の生活が逆転してしまったり、苦しい気持ちになってしまう。だってアイディアは自分がたくさん自力で拾い集めなければならないものだと信じてしまっているから。

けれど”ジーニアス”の考え方をとりいれると、もっとリラックスした気持ちで”アイディア”に接することができる。運転中はアイディアお断り、ということだってできるようになる。アイディアに振り回されるのではなく、アイディア、ジーニアスとどう付き合っていくか?という考えにシフトしていく。

そうするとアイディアが出ない日も、苦しいなと思う日も自分をあまり積極的に攻め立てないように気遣うことができる。今だってネタがないなと苦しんでいたけれど、”ジーニアス”を思い出して、まあジーニアス君に手伝ってもらった…ということにしておこうか。ともかくアイディアとか創造性というのは持て囃されるけど、案外融通の利かないものだし自分でコントロールするものでもないという気持ちは精神衛生上いいものだと思う。

最近じゃ仕事の効率化とか生産性の向上…と言われているけれど、こちらも独創性とか創造性と同じように扱われている気がする。けれどより高い価値のお仕事なんてのは案外”遊び”があって生まれることも多く、それらはコントロールができない気まぐれなものだ。

機械が進歩して食事や生活が改善され文化がいかに発達しても、脳の機能がそこまで向上したとは思えない。ということは当面ジーニアスと付き合って生きていくのが自然なことなんじゃないかなと思う。