かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

隠し事やウソを自分の内側に貯め続けると暴露願望に苦労する。相談するなら守秘義務を持った人に。

 

暴露願望=秘密を他人に打ち明けたくなってしまうこと?

暴露願望で検索してみてもヒットがなかったのでちょっと書いてみる。暴露願望というのは自分の中での造語かもしれないが、隠し事を人にどうしても打ち明けたくなってしまう願望のこと…を指すと思っている。犯罪者がまだ犯行がばれていない時に、関係者にちょっと事件を匂わせたり、わざわざ掲示板に匿名でそれらしきことを書いてしまうような行為だ。

 

www.ted.com

TEDのパメラ・メイヤーによる嘘の見抜き方が詳しい。15分くらいの本当に悲しみに暮れている人とそうでない嘘をついている犯罪者の映像が参考になると思う。この犯罪者は自分が上手に人をだませているという快感を我慢できなくなってしまい、しまいには笑顔が漏れてしまうのだ。どれだけ必死に隠そうとも、それを隠すのには大変な努力がいる。

 

そもそも普通の人は嘘や隠し事をすると尋常じゃないほどのストレスに見舞われる。かなり敏感な人にとっては少しの嘘やちょっとのルール違反にも大いに自分も苦しめてしまう。そうでない人も時間がたてばたつほど自分の内側に押し込めていることに疲れ果て、誰かに打ち明けたくなってしまう。自分の中、一人ぼっちで危険なものを持っていたくないのだ。だから共犯者や秘密を共有する人を無意識に作りたがる。仲間を作りたがる。自分が一人だけ知っているという状況をできるだけ長くしたくないのだ。

 

こういった願望というかストレスへの回避反応というのは「これは秘密の話なんだけど…」という前置きでよく仲間内で広がっていくウワサ話にも表れていると思う。誰かから受け取った秘密を自分ひとりで持っていたくない。だから仲間を作り出し、共犯者のような意識を作り出す。そうなると秘密を守るべくして結束が強まる。

 

暴露願望というのは自己掲示欲にもつながると思う。自分が何か高級な買い物をしたときに誰かに自慢せずにはいられない。けれども普通は見せびらかすのはよくないと思いとどまる。しばしの後、だんだん隠すのがつらくなってくる。自分の為に買い物をしたのに、他の人に自慢するなんて悪いから隠しているのに、それでも自分の内側に抑え込むのが困難になってきてしまい友人や知人に話してしまうのだ。だからある程度は自慢話はしょうがない部分もある。ストレスに耐え切れず自分を正当化して自由になりたい衝動があるからだ。

 

”誰にも相談できない相談”をされてしまった時の対処法

それでも隠し続けなければいけない情報もある。そういった時は本当につらい。例えば親友が自分にとんでもないほどの深刻なことを内緒で打ち明けてきたときなんかだろう。自分には幸いにして経験がないけれども、犯罪にかかわっているとか、巻き込まれてしまったとか、そういう相談をされたときは厄介としか言いようがない。けれども相談する側もこちらに打ち明けなければストレスで精神的にやられていただろうから仕方ないのかもしれない。

 

相談された側はどうすればいいのか。良心があるならばだれにも相談できなくなる。ちょっと捻って自分の話じゃないんだが…とか登場人物や事象を置き換えて他の人に相談してしまうかもしれない。誰かに知ってほしいから、誰かに助けてほしいから、秘密を自分ひとりで持っていたくないから。けれども基本的にはどんなことでも捻ったとしても漏れてしまう可能性があるので、話さないに越したことはない。だが、そうして沈黙し続けるのも本当に精神的に参ってしまうことになる。

 

そうした時に役立つのは法律によって守られた相談できる人の存在だ。例えば協会の懺悔室なんかがドラマなどでは有名な気がする。こうした懺悔室の存在と守秘義務に対しての回答が素晴らしかったので引用する。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

(中略)

宗教者でも同様です、たとえ重大な犯罪を犯した者の懺悔や告白であっても、それを吐露することによって、心変わりをするかもしれない。自首や警察へ出頭するかもしれないということもあります。
また、重大な犯罪でなくても、聖職者に自分の苦悩を話すことによって、その苦悩が軽くなることもあります。
逆に、例外を設けられてしまった場合、安心して相談ができない・・・誰にも言えなくなる・・・となった場合、自殺者や経済苦によって犯罪に走る者が増えるかもしれない・・・そういった意味で、例外を作るべきではないというのが理由であります。

pukuma_teddybearさん 2011/2/1023:39:45

ということで守秘義務を課された人間というのは秘密を守る義務がある。こうした人に相談するのが大切だと思う。秘密の相談のプロにきちんと打ち明けるということが一番オススメだ。こうした人たちは何件も人の秘密に関わり適切な助言を与え、相談者の精神を守ってきている。

 

簡単に一般の人でも利用できるのはカウンセリングや電話相談などだろう。こうした人々にも守秘義務があるため相談するのに最も適切だと言える。自分の内側にある暴露願望に対してもきちんと話して適切な処置方法をアドバイスしてくれる。

 

逆に信頼できない人に話してしまうと大変なことになる。というよりも普通の人は”大切な相談”の扱いのプロではない。適切な判断が行えるほどの人格者ではない可能性が高い。というよりも一般人にそんな能力を求めてはいけない。いじめられているから助けてほしいと自分が思っている親友にLINEをしたら、なんとその親友が裏切って泣きついてきたことをクラス中に回覧して一致団結してさらにいじめが酷くなる…なんてこともあるかもしれない。

 

秘密を暴露して裏切られたという心の痛みは何よりも酷い。だが、それはある意味自分が裏切らせてしまったということでもある。そういった秘密は爆弾のようなもので、それをいきなり素人に預けてしまうのはとても危険なことだ。だから早まらず、見ず知らずの他人かもしれないがきちんと守秘義務を持った人に話したほうがいい。見ず知らずだとしても何回か回数を重ねて、信頼関係を作る時間を設けてもいい。自分が守秘義務を持った人に話せるという自分専用の緊急回線を引いておくことが大切だ。それが自分の内側に溜まってしまう危険なストレスの逃げ道になる。

 

おわりに

たまに秘密を打ち明けられることもあるし、自分の中で隠していること、つらかったことをなんとか抑え込もうと頑張りはしたのだけれど、遂には我慢、忍耐、精神的負荷に耐えられず喋ってしまうことが多い。例え信頼できる家族だとしても話せないこともある。話したくないこともある。そうした時に法律で守られた第三者の存在はとても貴重なものだ。

 

秘密を一人で抱え、一人で悩み、一人で苦しんでいる時というのが一番つらい。だから逃げ道を一つでも持っておかなくてはいけない。自分の中にきちんと暴露したいという欲求があることを認めて付き合っていく覚悟が大切だと思う。それは決して悪いことではなく、心理的にとても普通のことだと思う。

 

暴露衝動についてどこでそういうことを聞いたのか覚えていないけれど印象的だったことがある。

 

以前TVで時効になった交通事故の特集みたいなのが組まれていたが、例年命日になると被害者の墓に火のついたタバコが添えられているそうだ。それはどうやら犯人が供えているらしく、テレビ局が取材すると罪悪感でそうしているとのことだった。自分の存在や自分の内側にある罪悪感の存在を外部に露出しなければ済まないのだ。それを見るたび犠牲者の家族は憤りと無念さを噛みしめる。どうして犯罪者がどの面さげて備えているんだと、卑怯者と。だがそういった犯罪者の見せる迂闊ともいえる暴露衝動を手掛かりに警察は捜査を進める。場合によってはその衝動をうまくコントロールしておびき出したりもするんだろう。

 

別に犯罪を教唆しているわけではなく、誰しも秘密を持って生きているし、嘘をついて生きている。それは誰かを守るためだったり、傷つけないための物でもあったりする。そうしたものを一人で抱えこみ、悩み続けるのはすごく難しいということだ。信頼できる人を頼ってみるのもいいけれども、法律によって守られた守秘義務を持った人々に相談することも選択肢として存在するということを少し書きたかった。

 

現代は秘密やウソ、悩み事が凄まじいスピードで世界に拡散してしまう時代になってしまった。小さな学校という閉じた世界の出来事がいつの間にか全世界中に伝わってしまうような時代だ。こういった時代における秘密やウソをどう扱うか?という問題はとても深刻だと思う。だからこそ、そういった秘密に適切に対処する技術を早いうちにきちんと学び取ることも必要だと思う。