かやのみ日記帳

読書の感想や思想を書いています!

人の仕事を安易にとってはいけない、自分でやりたがる気持ちを我慢して見守るのは正しいのか

 

人の楽しみや苦しみ、仕事を奪う行為

人の仕事をとってはいけない…というのは仕事に限らずいろんなことに適用できると思う。例えば友達にゲームをやらせている最中に自分のほうが上手いからあれこれ口出しすることなど。「あーそっちじゃない!」とか「もう見てて!」とか言って奪おうとしたりした経験はないだろうか。これも人の仕事というか楽しみ、苦しみを横から奪う行為だと思う。

 

自分が人生の節々で何度もやられて気付くのだけれど、たとえ下手だったり苦戦していたりしても”夢中になっている間は”邪魔しないでほしいものだ。飽きてきたころや本当に困ったときにこちらから助けを申し入れるまで待っててほしいと思う。その気持ちがわかるようになると、次第に自分も相手に対してじっくりと待ったりなるべく口出ししないで耐えるようになる。

 

この耐えるということが案外難しい。人は知っていることや得意なことをついひけらかしたくなったり自分の実力をちょっと見せたくなってしまうからだ。けれどもそれはあくまで短期的な自分の快感を生むだけだ。じっくりと手助けせずに待っていたほうが本人の満足度向上や思わぬ成果を生むこともある、ということは一度経験しないとわからないことかもしれない。

 

故事成語も人の仕事をとってはいけないと戒めている

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「人の仕事をとってはいけない」というのは慣用句なんだろうか?不思議に思って調べてみるとどうやら故事成語があるらしい。「侵官之害」と書いて「しんかん の がい」と読むのだとか。

『侵官之害』は一般に「しんかん の がい」と読む。


越権行為(えっけんこうい)は(君主を無視して反乱などをすることにつながりかねず、)良くないことなので、たとえ臣下が良かれと思ってやった行為であっても、越権行為であるなら、処罰しなければならない、・・・という話である。

韓非子(かんびし)が説いた。

高等学校古典B/漢文/侵官之害 - Wikibooks

ちょっと意味が分かりにくいので実際の物語を引用してみる。

現代語訳

(他人の)職分を侵すことは害悪だ。

昔、韓の昭侯(しょうこう)が、(酒に)酔って寝てしまった。 なので冠を管理する役人が、君主(=昭侯)の寒そうな様子を見て、それゆえ衣をかぶせた

(昭侯は)眠りから覚めて喜び、側近に尋ねて、「誰が衣をかけてくれたのか。」と聞いた。

側近は答えて言った、「典冠です。」

君主はこれをきいて、典衣と典冠の両方とも罰した。

典衣を罰した理由は、自分の職務をしなかったからである。

典冠を罰した理由は、職務を超えたからである。

昭侯は、寒さを苦手としないわけではない。(昭侯だって、寒さは苦手である。)

(昭侯は、)どういう考えかというと、(他人の)役職を侵すことは、寒さよりも重大事だと考えたのである。

それゆえ、賢い君主が臣下を召しかかえるにあたり、臣下は役職を超えて行動するのは許されず、意見を述べたのに(言葉と行動とが)一致しないのも許されない。

官職を超えれば死刑にされ、意見を実行しなければ処罰される。

(臣下が)職分をおのおの守り、発言が一致すれば、家臣たちどうしが徒党を組んで自分勝手なことをすることは無いのである。

 

話の重要な部分をまとめると、上司が困っていたので、他の人が担当するはずの仕事を奪って勝手に別な人がその仕事をやってしまった。その結果上司が両方とも処罰したというもの。冠をかぶせる役割の人(=典冠)が衣をかける役割の人(=典衣)の仕事を奪ったので処罰したのだ。自分にかけられた気遣いよりも部下の仕事の領分を大切にし処罰をするというのはなかなかできることではない。

 

我の強い人間が共同作業をしている輪の中であちこちの仕事を奪い取って、それを上司に献上して悦に入ってる…なんて場面一度は見たことがないだろうか。そういった人はかなり優秀で上司の覚えもよい場合が多いのだけれども、故事成語的には処罰対象である。勝手に人の仕事を奪うなということと、仕事を奪われるなよと戒めている。

 

なんでも自分でやったほうが早い病

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自分でやった方が早い病 (星海社新書)

自分でやった方が早い病 (星海社新書)

 

人の仕事を横からかっさらってしまう人は別の視点から見ると有能なように見えるが、もしかすると自分でやったほうが早い病にかかっている可能性がある。自分でやったほうが早いから、人の仕事や負担をかっさらってよいのだろうか?それは本当に人のためになるのだろうか。故事成語のように処罰したほうが良いのだろうか?

デキる人、優しい人に多い「自分でやった方が早い」という考え

「ああ、これなら自分でやった方が早いな

仕事のデキるあなたなら、そう思ったことは一度や二度ではないでしょう。

任せてみたけど、なかなか仕事が上がってこない。お願いしてやってもらったけど、思ったものとまるで違う。結局は、自分が最初からやり直して、ただ二度手間だっただけ。そんな苦い経験は多くの人が持っていることと思います。

この「自分でやった方が早い」という思考には、大きく分けて2種類あります。

ひとつは、まわりよりも自分がデキてしまうから、自分でやった方が早い。

もうひとつは、相手に悪いし、お願いが下手だから、自分でやった方が早い。

このやり方というか病がもたらす悪影響というのはまとめると以下のようになる。

  • 自分がやったほうが早い…と思ってるのは自分だけという可能性がある
  • 自分がやったほうが早いのは今がピークなだけ。次第に落ちていくので後進を育てないといつの間にかボトルネック
  • 一人に仕事が集中するのでチームの士気が落ちるし、病気になると一発アウト
  • 自分しかできない仕事を創り出し、権力じみたものを振るいだす
  • 人に任せられない=人を信用しない=人から信頼されない
  • 人ができないから自分がやってる…と不貞腐れはじめ責任を転嫁し始める
  • 自分しかできない仕事にした結果、プレッシャーなどを感じ始め精神が病む

などなど。その仕事を誰かに共有するのが遅くなり自分で囲い込むほど、より深く孤立していくというのがわかる。人に仕事を任せられない=人を信用していない=人から信用されないというのは非常に痛い話だ。

 

信用というのは自然に増えるものではなく、互いに交換を繰り返すことで積み重なっていく、いわば取引記録のようなものだ。だからたくさん取引してきちんとお互いにプラスになった記録が多ければ多いほど信用される。逆に誰とも取引しない人は信用がほとんどないとわかる。人の仕事を自分でやってしまうだけでこれほどのマイナスになるというのは整理してみて初めて分かったことだった。

 

It's none of your business.

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人の仕事をとってはいけないということをまとめている時に、頭の中でちらちら出てきたのがこの英語のフレーズだ。businessが入ってるから仕事と訳して、それはあなたの仕事ではないよ、という意味に訳したくなるが実際はもっとキツイ表現で「おまえには関係ない、それは君の知ったことではない」と訳す

business”と言うと、「仕事、職務」という意味が真っ先に思い浮かびますが、
one’s business”とすると、否定文で用いられて、
「かかわり合いのあること、干渉する権利」という意味になります。

ですから、“It’s none of your business.”を直訳すると、
「それはあなたにかかわり合いのあることではない」という意味になり、

そこから、「おまえには関係ない」「あなたには関係ないことでしょ
それは君の知ったことではない」「余計なお世話だ
などという意味になります。

相手に対して、「干渉しないで」と言いたい場合に用いられる表現ですね。

None of your business.”や“That’s none of your business.
と言うこともあります。

類似の表現として、“Mind your own business.”「余計なお世話だ」
という表現もありますね。

なんとなく自分の仕事をやれ、人の仕事にかかわるなというフレーズが英語圏では文化的に根付いているのかもしれない。日本では上司のご機嫌伺いだとか気を回すだとか空気を読むだとか…そういった気を利かせるということが持て囃されている気がする。なるべく早く目上の人の機嫌をとることが目的になっていて、他の人の仕事を奪うことはまったく考慮されていないのかもしれない。

 

子どもの仕事、生徒の仕事

強引なこじつけかもしれないけれど、子供にも仕事がある。子供の仕事は遊ぶこと、勉強することだ…なんてよく言われる。だからその仕事を大人が勝手に奪い取ってはいけない。例えば子供が公園で遊ぶのを老人がうるさいと言ってやめさせてしまったり、勉強について、考えなくていいから暗記しろだとかいう親だったり。

 

自分も後輩の指導をしていて思うのはすぐに答えを教えてしまいたくなることだ。けれどもそれは問題を解くという仕事を自分が奪ってしまうことに他ならない。問題を解いている=仕事をしているのだ。だから仕事の手助けは協力の要請や申し出をするぐらいにとどめておいて、決して奪い取るようなことがないようにしなければならない。そうでなければ信頼関係なんて築けないのかもしれない。

 

おわりに

人の仕事を奪うということを思っていなくても気づいたら自分が奪ってしまっていることはよくあることだ。それがたとえ善意だったとしても、立場を変えれば立派に奪い取ってしまったことになってしまう。

 

どういった話だったか詳細は忘れてしまったけれど、何かものを落としてしまい自分で拾おうとした際に側近に止められて「召使の仕事を奪わないでください、彼らはそれで食べているのです」みたいなものがあったと思う。これはある意味上司が部下の仕事を気づかないうちに奪っていたというケースだ。上司が部下の仕事の範囲の割り振りミスや仕事を把握していないから起きたともいえるかもしれない。

 

ただそんなことを言っていたら誰も協力しなくなるし仕事が回らなくなる!と言う人もいると思う。ぜったい冷たい空気になるから、みたいな。けれどもそれは互いに見て見ぬふりをして、それぞれに我慢を強いているだけとも言えるのではないか。誰かが貧乏くじを引いているのを何も言わなかったり、いいとこだけ横取りする人というように憎まれている可能性もある。

 

だとしたら仕事の範囲をきっちり振り分けて、ぶつからないように奪わないようにしたほうが効率が良いのかもしれない。もし助けてほしければそれぞれ依頼すればいいし、ダメならば上司がその仕事を別な人間に割り振るなどすればいい。その仕事の振り分けも結局上司の仕事なのだ。だから上司の仕事を勝手に部下が奪い取ってはいけない。

 

そう考えると一般社員にまで経営者意識をもって働けというのはへんちくりんな話なのかもなあと思う。そういった考えをめぐらすのは経営者の仕事なわけで、その仕事を一般社員が勝手に奪って、そして意見を上申したり改革をそれぞれ進めるのは正しいのだろうか?

 

人の仕事をとってはいけない。この言葉は案外広くいろんな場所に適用できそうだし、なんだか日本人独特の空気を大切にする精神ともぶつかるような気がする。働き方改革なんて言っているけれども、こうした言葉から思考を巡らせてみると新しい発見が生まれそうな気がする。