かやのみ日記帳

読書の感想や思想を毎日書いています!

”書く”という行為そのものは難しくはない、問題はそのあとだと気付く

 

”書くのが難しい”を分解する

ブログの記事を書いててつねづね思うのは、本当に書くということがどれほど難しいかということだ。文章を書くということがこれほど技量がいるとは思いもよらなかった。今までは”書く”というそのものの行為が難しかったので気づかなかったことだ。

 

”書く”というのが難しいというのは、

  • そもそも書くのが苦手
  • ネタがない
  • 自分の書いてる文章が話すときと比べて変に見えて嫌になる
  • 書くというのがそもそもダルい

というような気持ちがあると思う。

 

書くのが苦手=過去から染みついた苦手意識

書くのが苦手というのは漠然とした自分の心の中のイメージに基づくものだと思っていて小学校の読書感想文や受験の小論文などに苦い思い出がある…といったもののせいだと思う。この治療には自分が感動した自分にとってとっても好きなものについてガンガン書いてみるというのがおすすめだ。

 

そして書く媒体を自由に選ぶことでこういった苦手意識は少し薄れるのではないかと思う。紙とペンで書くのが嫌ならスマホTwitterに連投してもいい。それも嫌ならいっそ最初は音声入力を使って話し言葉で書きだし、その後につなぎ目などを修正してもいい。

 

ネタがない=ネタの選り好みとあらゆるネタに対して文章が書けない

ネタがないというのは書きたいと思える内容がないということだろう。これを書きたいという気持ちがなければ書けない。いやホントは書けるのだ。パナマとかどこかの国の政情について誰でもWikipediaで調べてその感想を書くくらいできる。一言楽しかったですと書いたって、まあ書いたことにはなるのだから書けないというのはウソになる。

 

けれどもまあそういうわけでもなく、ネタがないというのはネタを自分で選び取ってそれを書くという力がないと言っているのに等しい。ということは自分でネタを探す努力や拾い方が悪いということと、ネタの選り好みしすぎなどが考えられる。まずは書きたいと思うネタを探すのではなく、書けるネタを探すとかもしくはとにかく書くというのが大切だろうと思う。

 

どんなネタに対しても1000~2000字かけるようになるというのは立派なスキルになると思う。それから自分に合ったネタを探す力を身に着けていけばいい。あまりピンとこないネタになってしまっても、1000~2000字はかけることが保証されているから記事を書くスピードなんかも保証される。まずはやっぱり書くことだと思う。

 

書き言葉が話し言葉と違ってて変=違和感から成長へ

自分の書いてる文章が話し言葉と違って見えてすごく嫌になる…というのはありがちな気がする。見ててここが変とか言ってずっと同じ文章の末尾をいじくりまわして、時間がたった後全文を消してしまったりする。かつては自分もよくやっていた。けれどもこういった兆候は決して悪いものではないように思う。

 

というのも自分の中でそれは書き言葉と話し言葉の自分が分かれる前段階だと思うからだ。自分を例にだすと、今現在は書き言葉を書く自分と話し言葉を話す自分というのは別の人間のように感じられている。この書き言葉を書く自分というのは自分の心の中でじっくりと暗い中でぼつぼつと朗読するように話しているイメージを持っている。

 

それに対して話し言葉を話す自分というのは脳と口が直結しているイメージだ。書き言葉を書く自分というのは暗い底にいるイメージなので、反応が鈍い。相手の言葉が自分の書き言葉を書く自分まで届くのに時間がかかるのだ。だから話し言葉を話す自分はなるべく早くさっぱりと返す。けれども適宜自分の内側にいる書き言葉の自分に聞くことがよくある。こんな感じで、自分の内側での役割がわりと分担されているのだ。

 

だから本当は話し言葉のように書くこともできるのだけれども、それはあまり自分の心の中に足をついていない、どこか宙ぶらりんな文章になってしまうイメージがある。だからしっかりと心の底に足をついた自分としての書き言葉を書く自分が存在する。

 

そういった書き言葉を話す自分というのが確立されることで話し言葉とは違う書き言葉というものが奇妙に見えるということは次第に薄れていくと思う。

 

書く体力不足=書く情熱を見つめなおす重要さ

書くのがそもそもダルいというのは文章を書く体力不足、そして経験不足によるものだろう。体力不足というのは言い換えれば情熱不足といってもいい。満たされない思いというのが薄いということもあるかもしれない。もしくは自分の心との対話が極端に少なくて自分にとって何が不満なのかもわからなくて横たわっている…という感じかもしれない。

 

経験不足というのは憑りつかれたように文章を書いた経験ということだ。気がついたら三時間も文章を書いていたという経験など。このブログで最もヒットを記録した教授に関するエントリーは本当に気がついたら三時間経っていて驚愕した。今までの人生でそんなに時間をかけて文章を書いた経験がなかった。けれども自分の中でどうしても書きたい、書ききりたい、今まで胸の内側に抑え込んで誰にも伝えていなかったものを伝えたいという情熱がすごく大きかったからこそ時間を忘れて書くことができた。

 

例え文章を書く時間が10分でも30分でも長いと思う。そうして自分の中でどれくらい文章に時間をかけたか?というのを記録することによって自分のものを書くときの体力というのがわかってくると思う。

 

おわりに

さて、今の自分にとって”書く”ということ自体はそれほど難しいものではなくなった気がする。けれどもすぐに次の壁にぶつかった。それは文章の質というものだ。使う言葉遣い、単語、統一感、趣旨はずれていないか、強調は適切か、句読点は大丈夫なのか。読者にきちんと響くような文章になっているか。

 

書くということはどこまでも奥が深いなあと今更ながら実感する。今までは書くということに集中していて、毎日書き続けることでそういった苦手意識などからは解放されたし、新しく自信がついてよかったのだが…。もう一歩すぐ先にはとっても大きな壁があることに気づいて思わず苦笑いという感じだ。なるべくなら書くということに対してポジティブでいるためにも楽しく書いていきたいし、そのうえで成長をすることを目標に日々チャレンジしていきたいと思う。

 

毎日更新を続けて140日。今後も続けていく中で気づいたことなどをこうして記事にしてまとめて振り返ることができたらいいなと思う。