かやのみ日記帳

読書の感想や思想を毎日書いています!

あまり人を疑わないという生き方

 

とりあえず受け入れるという姿勢

自分のポリシーとしてあまり人を疑わないようにしようと決めている。いかにも嘘っぽい話だとか信じがたい話でも「そうなんだ」でなるべく済ませる。別にバカにしてるわけでもなく、純粋に受け入れる努力をする。あるがままに受け止めて反応を返すことを心がけている。

 

以前は普通の人と同じような反応をしていたと思う。いや、それよりももっと酷かったかもしれない。あらゆる発言にいちいち突っかかったり、検証したり、疑ったりと感じが悪い人間になっていたかもしれない。簡単に人の話を信用しない=用心深い=思慮深いと思っていたからだ。それが理系的な人間としてあるべき姿だと思っていたし、簡単に人を信じる人間というのはバカだと思っていた。だからバカにされないように、騙されないように何事も疑ってかかるようにしていた。

 

けれども疑ってかかるというのはわりと疲れることだし、損しているなとある時思うようになった。よくホラー系の物語なんかでは超常現象を見てしまった人が仲間に報告するけれども、まったく信じてもらえないという場面がよくある。そういった場面を見るたびに、ちょっとは信じてあげてもいいのになあとか、あの時信じていれば悲劇に合わずに済んだのに…という気持ちになる。

 

そう考えると自分にとって明確に損しないようなお話というのは別に信じてしまっていいのではないかと思った。「危険なものを見た、危ない逃げよう」という人の言葉を疑って信じずに進むよりも「そうなのか、残念だけど仕方ないね」としたほうがいい。相手の発言を疑うよりも、相手の発言をとりあえず受け入れて「じゃあどうすればいい?」としたほうが楽だと思う。そのうえで自分に課される行動が不利益でなければそのまま流されればいいと思う。

 

簡単に言ってしまえばなんでも世の中を疑ってかかって疲れるよりも、適当に信じられる人のあまり自分に影響しない話は信じたほうが楽だということだ。もちろん世の中には初対面で信頼できるかわからない人がいる。そういった人たちの話は自分にさせようとする行動によって測る。

 

例えば、自分に悪霊がついてるから直ちにこの壺を買えと言うならば、そうなんですか悪霊とは大変だ、しかし壺を買う余裕もないし現在忙しい、除霊なら自分の信頼できる然るべき場所で受けるでいい。その後悪霊と付き添うのもありだし、壺を買いに戻るのもいい。もしくは信頼できる神職さんなりに除霊を頼めばいい。こういった手合いに「幽霊なんていません」とか「そんな根拠はどこにあるのか」なんて戦いだすと向こうも対策マニュアルがあって泥沼になりがちだ。いったん受け入れて持ち帰ります、あなたには頼みませんとかが楽な気がする。

 

とはいえ何故か常に嘘をついたり無駄な人のウワサをそこら中に流す面倒な人もいる。そういった人にいちいち同意を示すのはやってられないので、そういった人からは遠ざかるに限る。

 

おわりに

もしかするとこういった態度は人として当たり前だろうに、どうしてわざわざこんな記事を書くのか?と疑問に思う人もいるかもしれない。それは自分がまったくもってコミュ障だったからだ。どうして人と仲良くなれないのか。なぜ人が離れていくのか。まったくもってわからなかった自分がいろいろと模索して見つけたものの一つがこれだった。

 

普通の人たち、コミュニケーションが健全な人たちは、あまり人を疑ったりしない。基本的にゆるく認めてくれる。あまり一つ一つの話題にのめりこむような姿勢を見せない。最初は軽く流すような態度で聞いている。当時の自分とはまったくもって正反対な態度だった。昔はなんでもがっつりと戦闘態勢をとって迎撃していたように思う。その真剣さが相手に伝わっていると思っていたし、それが相手への気遣いだと思っていた。それが相手に対する真摯なおもてなしのように勝手に思っていた。

 

けれども自分が相手に与えていた印象というのは、孤独、警戒心の強さ、心を開いてくれない…といったものだった。暗いとか、気難しい、頑固。そんなものもくっついてしまっていた。自分にとっては丁寧でバカ真面目なだけだったのに。その気持ちは相手にまったくもって届いてなかった。というよりも、そんなものを必要とはしていなかったのだ。

 

当時はもしかすると自分を守るために必死だったのかもしれない。自分だけで精一杯だったから、相手を信じることに手が回らなかった。自分がしがみついていた何かを手放せなかったのかもしれない。けれど、自分からしがみついていた、背負っていた何かをおろして話してみると、相手も少し安心して話せたようだった。

 

イメージとしてはたった一人集団の中で完全武装して銃器を突き付けながら会話しようとしていたのかもしれない。銃器を下して武装解除して話すのは怖いことだ。けれど、そういった態度こそが相手を信頼してますよという態度になるのかもしれない。

 

人を信じるというのはわりと難しいことなのだと思う。一歩踏み込んで、相手を疑わない態度を相手に見せるということ。それは平和だからできることなのかもしれない。当たり前のように人を信じるということができる人はいいのだけれど、そうじゃない人を疑うことを基本として生きてきた人間としては、こういったことに気づくまでが長くて苦労する。そんな話でした。