かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

瞑想について最初に感じていた誤解とやってみて感じたこと

 

瞑想は長いし、黙って座ってるなんてヤダ?

前から瞑想には興味があったのだけれどなかなか手を付けられなかった。というのも瞑想というのは黙って何も考えない、ただそれだけだと思っていたからだ。そんな黙ってじっと座禅を組んで座るのも難しそうだし、何も考えないというのもものすっごく難しいことだと思う。さらにはその時間を長くとらなければならないと思っていて、やる前からハードルの高さにくじけていた。

 

けれど最近はマインドフルネスの本がずいぶん増えて、やり方も色々紹介されている。それに初心者向けということで簡単に始められて、それを続けられるような方法が書かれていて大変助かる。そういった初心者本をいくつか読んでみて、なるほどこれは良い考えだなと思ったものがいくつかある。

 

一つは瞑想にかける時間は3分、5分でも全然かまわないということ。その時間集中して自分の心をリラックスできることがもっとも重要であるし、いつでもどこでもお手軽に瞑想をするほうがよっぽどいいらしい。なるほど電車の移動中にやるのはちょっと難しいかもしれないが、電車を待っている時なんかにじっと目をつぶってリラックスする癖なんかがついていると確かに素敵だなと思った。

 

上記に関連してだが、ちゃんと座禅を組む必要はない。立っていたとしても瞑想は可能であるということだ。さらに言うとなんと移動中でもOKらしい。本場では歩き瞑想もメジャーらしい。呼吸のリズムに合わせて体を動かすことに集中する。右足を上げている…右足が地面から離れた…右足が地面につく…左足を上げる…。こんな感じで一つ一つの動作に集中することがよいらしい。

 

呼吸に意識を向けるという難しさ

瞑想の考え方として、”何も考えない”というのはすさまじく難しいので、まずは自分の何気ない動作や体の状態、呼吸に意識を向けることが大事らしい。中でも呼吸は大変に奥深い瞑想の極致にも関わるものだ。

 

呼吸というのはほとんどの人が意識することはない。まあこう書くととたんに呼吸が気になってしまう人もいるだろうが、そうやって意識を向けるほうが稀である。しかし呼吸がなければ人間は全て生きていくことができない。食べ物や飲み物を飲まなくても生きていける…なんてことはほとんどないだろうが、例外なく呼吸をしないと生きていけない。それだけ重要なものを意識していないというのは驚くべきことではないだろうか。

 

自分の経験談

というわけで呼吸に意識を向けてみるとなかなか面白い。というのは自分がどうやって呼吸しているかを探るとまったく不可思議に感じられるからだ。自分はよく部屋を真っ暗にして、目を閉じてゆっくり5分~10分瞑想をやってみたりしている。ある時、呼吸に意識を集中してしばらくたった後不思議な感覚が訪れた。おなかの下の当たりにたまっていた力がすっと腰の奥までずーんと落ちていったのである。

 

その感覚が訪れた後なんだか体が空っぽになったような感覚になり、神経が非常に落ち着いたように感じられ、頭の中もスッキリ、ただ呼吸に意識を向けているだけの状態になった。そうして呼吸を続けていると空気の流れに敏感になってきた。

 

鼻から息を吸う。まず吸うときに空気が体の中をすうっと通っていく。お腹に空気がたまるように感じられ、そのあとゆっくりと空気を体の外に出していく。呼吸とは空気を出し入れしてるんだなあ、空気が体を通っているんだということにやたら感動した。瞑想が終わった後に振り返ってみて今まで自分は何をやって生きていたのかと考えたりした。なるほど空気を吸って吐いてを繰り返して、体に取り込んでいたんだなあと。

 

どこかで読んだが、呼吸について息を吸うときは太陽が昇ってくるように吸って、吐くときは太陽が沈むように吐くべしと。そうすれば呼吸の中に輪廻とか一生を見ることになると。呼吸によって時間とか生命とかそういうものにきちんと目を向けよという教えだったと思う。こんなに当たり前にしすぎていて感謝も何もないような行為に人生とか輪廻とか、そういった奥深いものにつながるような考えというのは素敵だなと思う。

 

気軽に背伸びするように瞑想したほうが続きやすい

ただ瞑想というのは長くやるよりも、短い時間でもいいから続けることが大切なんだと思う。瞑想から何かを得ようとする(例えば宇宙の真理とか?)のではなくて、瞑想すること=自分にとってのリラックス方法のように扱えるといいと思う。緊張した時にリラックスするために深呼吸するように、疲れたら伸びをするように。

 

やっぱり瞑想自体を楽しんでやることが大切なのだと思う。そんな禅僧を目指す!とか高尚な目的を持たずに、気軽に疲れたな~とかちょっと落ち着きたいとか、頭の中を少しリセットしたい。そんなときに瞑想という手段を使うというのが自然と選べて、それが日常的に身につくことがとても良いのだと思う。

 

おわりに

瞑想の本にはいろいろ心持ちについても書いてあって非常に良い文章や感銘を受けた考え方があった。その一つに人生の一つ一つの物事に対して、ただ山に向かって岩を押すようにやれという考えが載っていた。

 

山に向かって岩を押すというのはとてつもない苦労だ。いろいろ考え事をしていれば道を外れてしまい怪我をするかもしれない。だがグチグチ言いたくなるのも人情だろう。重いし、手のひらにも痛みを伴うかもしれない。何より坂道だ、すぐにやめたくなる。何よりも、岩を押すことになんて何の意味があるんだろう?それに山の頂上まで行けば岩は転がり落ちてしまう。じゃあやる意味なんてないじゃないか。

 

けれども、ただ岩を押すことにだけ集中しなさいと説く。ただ目の前のことに集中せよと。そこに意味を求めず、ただ頭の中は押すという一点に集中せよと。それは瞑想でいう呼吸に集中せよという考えである。頂上まで押して、岩が転げ落ちる。けれども落胆などなく、また再度戻って岩を押すのみである。意味を考え始めたりするから”損”とか”意味がない”なんて言い始めて不幸になるという感じだろうか。

 

暗い中で目をつぶってじっとしているとたまに「いったい何の意味があるんだ?」とか「あー明日これやらなきゃ」とかいろいろ考えだす。けれどもただ岩を押すように呼吸をする。「いったい何の…おっと息を吸って…吐いて…」こんな感じだ。自分の思考をリラックスさせることも大切なことの一つだから、こんな感じで自分の集中を呼吸にもどす。

 

だいたい不安とかは未来のことについてあれこれ考えてしまったり想像してしまうから膨らんでいく。だから一つ一つの目の前のことに集中することでリラックスにつながるというのもわかる気がする。案外合理的な考え方なのかもしれない。

 

瞑想というのは古いものだと思っていたし、なによりとっつきにくい、やってる人は何か怪しげな雰囲気がすると思っていたけれど、案外なんてことはない。ただ呼吸に集中して体をリラックスさせれば瞑想入門だった。やってみると体の感覚について気づくこともあるし、なかなか面白い。あまり肩肘張らずにゆるく続けられるといいのかなと思う。