かやのみ日記帳

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病気の治療に効率なんてないよなと思った

 

なんでも効率という考え、コスパともいう?

最近生産性だとかそういったものが持て囃されて、どうやったら人々は効率よく自分の価値を最大化できるのかみたいな話を見かける。その中にはいささかブラックじみたものも混じっていて、一人一人が最大の効率で事故やミスなく働くことが重要だとかもっとぎっしり詰め込もうみたいなものもある。

 

そんな中でも健康というのは自己責任だという考えはなかなか払拭されない。風邪をひいたり怪我をした人間というのは、自己管理がなっていないからだという理論だ。風邪をひいたぐらいで休むとは何事だとか休んだ分だけ会社が損するとか言う話もあるだろう。

 

 

そんな罪悪感みたいなものを感じているといざ風邪をひいたとき、なるべく効率よく治そうなんて思うだろうかという話である。もし本当に生産性を考えるならば大変頑張って病気を治さなければならない。栄養管理、睡眠の管理、点滴の活用…。けど健康の効率化なんていうのは話をあまり聞かない気がする。健康に効率化なんて響きがなんだかヘンテコな気がするのは間違いじゃないはずだ。

 

この妙な感触の悪さというのは、心の奥底では人間なんて非効率な生き物で健康なんかコントロールできないという意識があるからじゃないのか。風邪をひいたらいつ治るのかを問い詰められても困るだろう。風邪の回復具合の進捗を報告しろなんて会社から強制されたら…それはもう勘弁してほしい。そんな曖昧なものは測りようもない。

 

そういった人間の曖昧さ、不確かさ、しょうがなさみたいなものを根底で認めてあげないと生産性とか効率化なんて変な方向の議論になってしまう気がする。医療に効率という概念は本当にあるのだろうか。どちらかと言えば患者の身体に負担が少ない治し方だとか自然な治癒力に任せた治し方などがもっぱら話し合われるところだろう。

 

だから仕事とはいえ人間のやることなのだから生産性という尺度一つが正しいのか、効率というものの考え方はあっているのか。病気になって自分の体に不調が見つかり、ずっと付き合わなければならないと分かったとき、そこに人は効率を求めるだろうか。いくつもの選択肢の中から最善だと思われる方法をじっくり考えるだろう。どことなく話が違う二つのことだけど、なんとなく共通点もあるような気がする。そんな風に思う。

 

おわりに

元気が一番だけどなかなかそうもいかないし、予想もつかないところでコケるのが人生だ。それをあらかじめ予測しようとか管理しようと思ってもなかなかできない。もちろん保険もあるだろうが、そこに当たったらとにかく落ち着いて物事に向き合うしかない。

 

早く治そうと思っても病気はそんなに早くは治らないし、かえってゆっくりしたほうが早く治ることもある。人間があれこれ知恵を絞って試すよりもただ横になっていれば癒えることもある。そういったゆるさも大切だよなとふと思った。