かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

人からの頼み事と仕事観について

 

人の頼みを断れない

わりと人の頼みを断れない性格をしていて、いろんなことをやってきたような気がする。宿題だってノートだって見せていたし、仕事の肩代わりもしたりした。何か作ってほしいとかそういったことにもできる範囲で対応していた。基本的に断るようなことはしなかった。

 

それは相手の喜んでいる表情が見たい、喜んでほしいと思う気持ちが強かったのは間違いない。そもそも頼み込んでくる時点で困っているわけで、困りごとを解決すると喜ばれるわけである。だから頼みごとを引き受けてちゃんとこなすと感謝されるので気持ちよかった。

 

ただ人間、たくさん引き受ければ受けるほど重たくなる。自分自身では到底扱えないことも背負ってしまうことが多い。自分の許容量がわかってなくて潰れてしまうことがよくあった。けれどもいまだに人の頼みをまったく断れないでいる…。

 

自分の残念な特徴の一つは、自分自身のやることよりも人のことを優先してしまいがちなところだ。なんだか自分自身のことは後回しで、人のことばっかり気にかけてしまう。

 

自分にとって楽で相手にとって難しいモノ

けれど人の頼みというのは面白いものでもある。自分では思いつかないことが多いし、自分にとっては簡単なことをものすごく感謝されることだってある。例えばパソコンの設定をつらつらやってあげただけで異様に尊敬されたり感謝されたりする。そういったものは一向に構わないのだけれど…。

 

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任天堂の岩田社長も言っていたが、本人のかけた労力が小さい割にすごく人から感謝されることは向いてるってことらしい。そういったものを仕事にしたほうが良いとも言っている。

岩田氏:
 要するに,「自分の好きなことと嫌いなこと――もっと言えば,自分がやりたいこととやりたくないこと――を,自分が得意なことと得意じゃないこととイコールだ」と思い込んでる人が多いです。本当は,それってかなりズレてるのに。

川上氏:
 ああ,ズレてますよね。

岩田氏:
 好きじゃないけど得意なこともありますし,好きだけど,実はあんまり得意じゃないよっていうことも結構あって。だから,仕事というのは「得意なこと」をやった方がいいんです。好きだけど得意じゃないことに溺れると,仕事っておかしくなることが多いんです。

人の頼みごとというのも同じような基準で引き受けるか、断るかというのを考えてもいいかもしれない。それが自分にとって簡単で、それでいて感謝されるようなことはやってもいいのかもしれない。

 

仕事と頼みごとについて

仕事、というといかにも形式ばって職業観とかプロ意識…とかいろいろビジネススキルだの言われるが、頼みごとについてはそういったスキルの話などはほとんど聞かない。でも仕事と頼みごとは案外似ているような気もする。だいたいは上の人からの頼みごとを聞いてそれを叶えるために頑張るのだから、まあ大規模な頼みごとのようなものだ。

 

頼みごとの内容が難しく、そして叶えてもまったく評価されなかったり文句を言われたとしたら間違いなく怒ったり、何様だーとか関係を断とうと思える。感謝を言わない人のために頑張るなんて馬鹿らしいなんて思ったりもするだろう。逆に頼みごとが難しくてもこの人の為なら…とかきちんと丁寧にお礼を言ってもらえると苦労の甲斐があったと思えるだろう。

 

仕事もちょっと似ているような気がする。頑張っても評価されなかったりお礼も見向きもされなかったり。そもそも必要としていないことを頼まれていたり、当初よりも莫大な自分の出費を強いてきたり。仕事ではなくあくまで個人単位の頼み事なら間違いなく逃げ出すところを逃げ出せないのは仕事…というか労働契約とか正社員…とかそういう経済事情によるところだろうとは思う。

 

けれど頼みごとのように自分にとって楽で、評価もきちんとされるようなものが良いと思うのだ。

 

嫌な頼みごとをする人からは逃げる

嫌な頼み事と書いたけれど、あからさまにこちらを安く見る相手からは間違いなく逃げたほうがいい。というか安売りをしているとハイエナのようにそういった人々が寄ってきてしまう。無料にはたくさんの人が食いつくように、労働力を安売りしていると喰われてしまう。

 

そういった人々は感謝もせず、ただ無料で使えるものを使っただけとしか思っていないのでタチがすごく悪い。そういった人々からは逃げ出すことだ。個人単位ならそれでいいのだけれど、問題は会社という組織においても蔓延っていることがあるからまったく困った話だ。できるなら良い頼みごとを引き受けて、それでいて自分もそこまで大変じゃないことで食いつないでいきたいものである。

 

おわりに

人の頼みごとというのは面白い…という考え方をする人は少ないのかもしれない。多くは厄介ごととか自分でやりなよという人が多いだろう。なぜ人のことを自分がやらなきゃいけないのか。

 

人の頼みというのはそれ自体ですでに観客が待っているというか、需要を欲しがる人がいるということなのだと思う。需要があるかどうかわからず、反応がないものをやるというのは案外つらいものだ。たとえ誰でもいいから反応が欲しい、そして感想が欲しいと思うのは誰だって一緒のはずだ。

 

だから人の頼みというのはそれを待っている人がいて、自分も楽しんでかけて反応が見られるという一連のプロセスが期待できるはずだ。けれどよくない人の頼みというのは反応とか感謝をくれなかったりする。もちろん期待してはいけないのだろうけれども、そういった人の頼みはだんだんと引き受けようとは思わなくなる。かける労力を最低限にしてなおかつお断りの体制になっていきがちだ。

 

だから逆に誰かに物を頼むときは感謝ときちんとした感想とか反応を返してあげないといけないと思っている。 どんな些細なことでも忘れないようにしないといけない。

 

人の頼み事があったとき、それを需要だと感じてその人のためにした後で、多くの人に試しにも同じことをやってみると案外ウケたりすることもある。それがめぐりめぐって…。だからこの世は誰かの頼み事とか困りごとがいっぱいなのかもしれない。