かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

誰にも言わないんでほしいんだけどと言われたら忘れてしまえばいい

 

秘密を最大に守るには…忘れる?

うわさ話が好きな人とか悪口が好きな人ほど「誰にも言わないんでほしいんだけど…」といっていろいろ話したがる。これは罪の共有というか、秘密を共有することで仲良くなろうとしたり自分の罪悪感を少しでも軽くするためにどうしても”やらねばならない”ことらしい。

 

とはいえ言われるほうはわりと面倒だ。秘密を渡されるとそれをきちんと管理しなければならないし、絶対に漏らしちゃいけないから気を使うことになる。今まで普通に話せていた人に先入観というか、一つ一つの会話の中で”アレを話してはいけない”なんて意識したりしなきゃならないからだ。むしろ聞かなきゃよかったこともある。

 

そういう時、自分はいっそ忘れようと思っている。なぜなら、忘れてしまえばだれにも話すことはなくなるからだ。誰にも言わないでほしいんだけど、と言われたならその場限りでしか覚えなくてよいことだと思えばいい。余計な情報だからこそ覚えなくてもいいはずだ。

 

とはいえなぜか誰にも言わないでほしい情報を「大丈夫、すぐ忘れるよ!」というと露骨に不満げな顔をされることも少なくない。大切な情報で共犯者なのだからきちんと覚えてほしいということらしい。こちらの都合はあまりお構いなしのことが多い。本人はプレゼントのつもりかもしれないが、あまりうれしくないものをもらった時ほど対応に困ることは多い。

 

なにより「誰にも言わないでほしいんだけど」という前置きで渡される情報の厄介さときたら…。案外正しくない、信憑性の怪しい情報もあったりしてイジメの温床にもなりかねないこともあるから油断ならない…。

 

形のないような人

結局、「ここだけの話」とか「秘密」を盛んに言うようなお喋り好き、秘密好きとは距離を置いたほうがいいんだろうなと思う。人に聞かれて困る話ばかりされてもこちらも困るだけだ。うわさ話ばかりに身を置いているとまるで煙にまかれているような気持ちになる。妙な息苦しさを感じることもあるはずだ。

 

できるならうわさ話なんかほとんどしない、からっとしたあけっぴろげの人と付き合ったほうがいいと思う。そんな人はなかなかいないものなんだけど、性根が明るい人というのはこちらも明るくしてくれるものだ。逆に言えばうわさ話ばかりの人というのは本人の顔がすごく見えにくい。

 

うわさ話ばかりというのは思うに周囲に寄生して生きているようなものだと思う。関係性の中に巣食っているもの。だから自分自身で生きているという気配があまり感じられないような気がする。それを生きがいにしている人というのは周囲を食い物にしてるんじゃないだろうか。

 

そこまでは言い過ぎかもしれないが、できるなら話をするならなるべくその人自身としゃべりたいものだ。うわさ話そのものとしゃべっているようなことはできるなら避けたいものである。だからうわさ話は相手をしないに限る。誰にも言わないでほしいことなんか自分の内側にためていると重くって仕方がない。なるべくため込まずに捨ててしまったり忘れてしまいたいと思っている。

 

おわりに

自分はウワサ話とか人の悪口、内緒話が好きではない。むしろ好きな人はいるんだろうか。もちろんいろんな人の現在の状況を詳しく知りたがる情報通みたいな人もよくいると思う。

 

けれど自分は社交的でもなんでもなく、内向的な人間だからこそ本人しかなるべく見ないような生き方をしたいと思っている。他人がどうあれ、周囲がどうあれ、本人が相手をきっちりとみて話した内容を評価したい。そう思っている。