かやのみ日記帳

読書の感想や思想を書いています!

入力変換の癖から語彙力を導き出せたら面白いなあ。

 

変換の”癖”

自宅のPCの変換はさすがに毎日ブログの記事を1500文字くらい更新しているから自分の思い通りに変換してくれて心地が良い。すんなり変換が通ってくれるとストレスなく記事が書けるのだけど、たまに凝った言葉を使ってしまうと誤変換が起きてしまう。けれど二回三回と使ううちに学習してくれてひと段落する。この繰り返しだ。

 

けれどもたまに違うPCだとかスマートフォンで長文を打つとなると変換が上手くいかず非常にストレスを感じることになる。それはきっと変換の癖というか自分が良く使う語彙をコンピュータが知らないからなのだろう。

 

逆に言えば自宅のPCというのはもしかすると自分の使う語彙の数がわかっているのかもしれない。まっさらなデフォルトの状態から使い込んでよく使う変換だとか使わない変換がわかればきっと語彙力も正確に測れるのかもしれない。

 

選択式テストへの違和感

www.arealme.com

上記のサイトのような日本語の語彙力についてのテストを受けてもいまいちピンとこなかった。なんていうか、選択式の問題のテストでありがちだが答えがあるからこそ思いつくことも多い。選択肢の種類から連想することもできるからだ。

 

これは英語に対する意識で如実にわかると思う。例え学校のテストでいい点が取れても、TOEICのリスニングとリーディングの点数だけでは英語ができるか?本当に語彙があると言えるか。もちろんテストの点数はそれを証明してるかもしれないが、自分自身の実感として不安じゃないだろうか。

 

そうした本当の自分の地力を測るにはわりとお金がかかるテストや講師などを利用するのがポピュラーなのかもしれないが、自分の中で確かな実感ややり遂げたという成果が見えると良いと思う。英語の場合はたまたま見かけた困っている外国人の方をスムーズに案内できたとか。大学院生なら国際学会での発表経験は何よりだろう。

 

日本語の語彙力を測る機会なんてほとんどない

同様に日本語の語彙力とか自信を測るには…。と思うと実は測る場面がない気がする。大人になれば自然と作文とか感想文、小論文の添削なんてなくなってしまう。字の綺麗さなどに頓着しなくなるのと同じように語彙に気を払う人は割と少ない。月に何冊本を読むかで語彙が増えるのだろうか。

 

そう考えてみると…まあブログのススメと言ってはアレだが、毎日記事を書いてみるといいんじゃないかと思う。そしてその際の入力変換について意識するのも面白いかもしれない。

 

最初に書いたことと少し矛盾してしまうけれど、普段使っているPCでもたまに誤変換があったほうがいいのかもしれない。それは新しい語彙というか、自分の使おうとしている言葉が広いからこそ起きるからだ。

 

逆に言えば毎回同じ単語ばかりで変換に苦労しないほうが危険なのだろうか。それとも単に変換の精度がいいだけだろうか。そんなことを思ったりした。

 

おわりに

ちなみに語彙のテストだとかIQのテストではとても平均点な結果に落ち着くことが多い。ちょっと自分にがっかりな気持ちもあるけど、まあ伸びしろがあるということで期待をしておこうか。

 

今回の記事はよく言われる「知っていると使える」は違うという話である。昔はこの言葉にすごくよく反発した。教科書をだらだら見て覚えたと言ってテストに向かう自分を親は散々叱ったものだ。だからこの言葉を使うのはあんまり好きじゃないのだが…。

 

変換についても目上の人から良く叱られて、自動変換ばっかりやると漢字が書けなくなると言われてきた。実際そうかというと、実はブログの記事の下書きに手書きのメモを使ったり、紙の日記も書いたりしているので案外書けなくなるというわけでもなかった。

 

パソコン全盛期とはいえ紙の便利さもまだまだ捨てたものではない。電気が要らないからバッテリー切れで消えないし、紙に書いた内容は即時反映(遅延ゼロ)、単価が安い、どんな絵でも文字でも入れられる…。

 

とまあここまで書いちゃうとパソコン否定派のようだが、そういうわけでもなく入力変換は入力変換でまた”味”があるなあと思うのだ。ここまで面白いシステムは他にないと思う。事実、他の言語圏にはない機能のはずだからだ。(中国語はあるのかな?)

 

この変換というものに深く切り込んだ思想にまだであったことがないので、そういった書籍があればぜひ教えていただきたい。この独特の日本語システムには何か面白い思想がまだまだたくさん眠っていると思うし、この変換の”癖”にはきっと価値があると思うのだ。