かやのみ日記帳

読書の感想や思想を書いています!

コンピュータに対する奇妙な自信の理由。

 

たいしたことない機械

母親にパソコンの使い方を教えたことがあるのだけれど、どうしてそんなにスイスイ覚えられるのか聞かれたことがある。なぜそこまでパソコンを使いこなせるのかと。教えたことと言ってもちっちゃい「っ」の打ち方とかUSBメモリへのコピーの仕方と言ったすごく初歩的なことだ。

 

自分が母親に言ったことは「パソコンなんてたいしたことない」ということである。逆に言えば「パソコンとはおそろしいもの」とか「うっかりいじると壊れる高級品」と思っていると飲み込めないんじゃないかと思う。

 

自分にとって「たいしたことない」とは「壊れても(…エラーが起きてもという意味で)別に問題ない」ということである。何かあっても電源を入れなおせばいいやというおおらかさだ。打ち間違えても、何かを間違って操作してもある程度取り戻しが効くと信じているからあまり迷わないで済む。それがパソコンに対する慣れだと思う。

 

というか母親などはパソコンのことを「自分よりも頭のいい機械」だと思ってしまっている。だが、少しパソコンをやってみればわかる通りパソコンなんて人間よりよっぽどへっぽこである。ちょっとでも間違えると動いてくれないほど融通の利かない石頭である。

 

 

ただ、パソコンというのは自然が作ったものではなく人間が人間の為に作った機械であるということがポイントだと思う。たかが人間が作った市販品なのだから人間にわかるはずだと思って取り組む。逆にわかりづらいなーと思えばそれは作った人間の失敗だ。

 

パソコンに限らないと思うが、人間が作ったもの、デザインしたものは作った側の立場を想像できるようになるとスイスイ進められるようになると思う。きっと作った人はなんらかのヒントをここらへんに出してくれてるに違いないとか。そういった勘所だ。最初の恐怖や畏怖を乗り越えて、作った人の気持ちになれると自分のものにできたという感覚で自信が身につくんじゃないかと思う。

 

おわりに

数学などは自然から成り立っていると思うので、人間にわかりやすいというよりもありのままの姿が美しいとかそういった言い方をするような気がする。そういったものが実は畏怖されているのかもしれない。

 

自信というのはひょっとすると膨大なトライアンドエラーの末に何回もやったから安全だとか間違っても取り戻せると経験からわかっているから身につくものなのかもしれない。ということは失敗を責め立てたり致命的な失敗ばかりすると自信はいつまでたってもつかないということになる。こういった話をするとなんだか教育分野っぽいような気がしないでもない。プログラミング教育なんて話題もあるし、ぜひ怖がらずにやってもらいたいものだ。