かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

人との関わりがなければわからない常識

 

ボーリングの球

すごく簡単で常識的だったのかもしれないが、自分一人ではまったく気づけなかったことがある。本当に簡単なことなのだけれど、自分にとってはわりとショックだった。それはボーリングにいろんな人をまじえて行った時のこと。ボーリングの重さがみなほとんど一緒だった。

 

自分は別にどのボールで投げても別に同じ重さなんだから、近くにあるボールを投げればそれでいいやと思っていた。誰も気にも留めていないと思っていたのだけど、それを注意された。そこで初めてボーリングという競技などでは自分の持ち球は自分の持ち球として把握しておかないといけないと知った。

 

どうも油?のノリなどで回転などが変わるためきちんと拭いたボールを使いたいということで、人のボールかどうかも勝手にわからずに使うのはマナー違反であると言われてしまった。まあよく考えれば当たり前の理屈だ。ボーリング場の球だから共用ではあるけれど、借りてる人のものを勝手に使ってはまずい。

 

ただボーリング、球を見分けるということをしたことがなく、いったいどこで見分ければいいのか戸惑った。番号っぽいので見分けるのか、それとも傷の付き具合で把握すればいいのか。それとも重さを適度に変えることで見分けをしやすくするのだろうか。

 

自分は覚えるのが苦手でボーリングはころころ回転していろいろ混じりやすい。そうなると自分の球を覚えているというのはマジシャンがよくやる紙コップをシャッフルして中の球がどこに入ってるのか当てるやつっぽくなってしまう。なんだか妙に疲れてしまう。

 

ドリンクバー

脳の容量が足りないのかと煽られるかもしれないが、人の飲み物を気を利かせておかわりを持ってくるときも同様の現象が発生してしまう。さて右手と左手、どっちが自分のだっけと。困ったときはコップを取り換えたり丁寧に洗ってしまうのもありだが、基本普通に人とかかわっている人はそういうことを常識としてちゃんと身に着けているんだろうな…としみじみ思う。

 

こうしたことは一度失敗した…と真剣に落ち込んだ後に再発防止策として自分でできそうなことを考える。ボーリングの時はなるべく被らないような重さにしてみる。少数派のボールにする、むしろあらかじめ先手を打ち間違えちゃうかもと断っておくなど。

 

ドリンクバーの時はもっと単純に右手は自分の、左手は相手のと決めておけば迷うことはない。ただこういうことを世間の人はいったいどこで学ぶんだろうか。自分はそういった常識が欠けているのではと思ってすごく肩身が狭い。きっと大人になって痛い目を見て学ばなければならないのかなと思うと少し悲しい。

 

おわりに

だいぶ昔は天然だとか常識知らずなどと言われて凹む日々が続いていたけれど大学に入るとほとんど人付き合いがなくなったため、いつからかは言われなくなってきた。まあ常識だとかそういったものを披露する場がなかったためだけど、実際のところ今でもたぶん身についていないのでこまごまとしたところで失敗するだろうなと思っている。

 

だいたいは人に対する注意が払えていないからと言えるかもしれない。が、常に人を気にする癖がきちんとできていないから困るともいえる。ちゃんとできている人はそれだけでもすごいなあと思うばかりだ。