かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

本の価値をどのくらいに感じているか

 

いくらに感じるか

5000円の分厚い本は高いだろうか、それとも安いだろうか。普通に価格だけ見れば高いのかもしれないし、物質的に見れば製版技術の向上などで十分安くなったと見れるかもしれない。ただ本の価値とは物質的なものではなく情報的なものであると考えて価値を考えたほうが自然だと思う。

 

では本の情報の価値をどのくらいに感じているのか、自分なりに考えてみようと思った。まず第一の思考実験として、その本が全世界で残り一冊のみだとしたら自分はいくらで買うだろうか?ということをやってみる。定価は5000円で、その本にはたくさんの買い手がいる。しかし自分が自由に購入できる権利を持つとしよう。いったいいくらで買うか。そして得したと感じられるだろうか。

 

もしその本がSteve Jobsの神髄みたいな本で素晴らしいアイディアに満ち溢れ勇気や活力が漲るような購入した人からは☆5以外つかないような本だったとする。自分もそれを欲しいと思っていたとき、5000円はたぶん、素晴らしく安く感じるだろう。Apple信者ならばiPhone X10台分くらいは安く感じるんじゃないだろうか。

 

これはある意味プレミア価格だとかもう手に入らないという焦りから購入する金額が上がってしまうことが考えられる。じゃあ次にSteve Jobsが本を書かずに、その本の内容を自分に一対一で教えてくれるとしよう。考えるのも馬鹿らしいが、とんでもないほどの価値になるはずだ。

 

本の値段

ここらへんが自分にとって本の価値になるところだと思っている。本というのは大量生産されて安くなること。そして著者が頑張って何百時間と費やしたものを自分が全て読み取れるようになっていること。本というのは著者が実質一人に向けて(個人個人には書くわけじゃないので)わかりやすくまとめてくれた情報を、みなが費用を分散しつつすべてを享受できるシステムになっている。しかも時間的地理的制限もなく。

 

本というのは基本著者と読者の一対一対決である。著者は読者の為に書いている。その読者とは自分自身だ。…まあ当たり前のことを書いているが、わりとそれってすごいことですよねと。だから本の価値というのは物質的なものでもなく、情報の価値で測られてしかるべきだと思う。だから5000円の本というのは高い安いじゃなく、その本の内容が良いか悪いかで決まる。

 

まあ何が言いたいのかというと本を指さして高い本だとか安い本だとかいうのはやめてほしいなあと。そりゃ値段を見れば高い安いはあるけれど、本にそのスケールは似合わないなと感じてしまうのだ。本に付けられた値段は著者のがんばりとか出版社の苦労とか制作コストが入っていると思うが、本の価値が過剰に反映されているわけではない。

 

そしてそれはいいことなのだ。だって本当にいい本にべらぼうに高い価値をつけて秘蔵の本にしてしまい選ばれた人しか読めないなんて自由に反すると思う。それこそ図書館戦争を起こしていいんじゃないだろうか。(意味はあまりあっていないと思うけれど)

 

おわりに

まあ本が好きな人なら当たり前のことを書いてしまったなという気持ち。が、自分にとって本の価値って何か、そしてどれだけ出費するつもりがあるのかみたいなのをつらつらと考える機会があったのでこうしたことを書いてみた。

 

そんな風に本の良さを語ったけれども、最近はインターネット上で盛んに交流できてしまう時代。Twitterで運が良ければよい話し合いができてしまったりする。そういった会話が他の人からタイムラインに流れ込んできて、たまにまとめられたりする。一方向のまとまった情報にも価値はあるし、双方向の気軽な発信も同様の価値がある。

 

特にニコニコ生放送で授業などをするN予備校なんかもスゴイよなあ…としみじみ思う。リアルタイムな講義なのに後で何度も再生出来てその時の質疑応答を含んだログが残っている。双方向の記録を一方向にまた流し込めるというか…。だんだん垣根がなくなっていくような、面白い取り組みだと思う。