かやのみ日記帳

読書の感想や思想を書いています!

鍵がとんでもないほど苦手

 

なぜか守れない

恥ずかしい話をしようと思う。鍵がとんでもないほど苦手だ。物理的な鍵を自分は守れる自信が本当にない。鍵以外にも重要なものとか忘れちゃいけないものは必ず忘れてしまう自信がある。とにかく鍵は苦手である。

 

鍵を一年間の内に何回ほど無くすだろうか?自分は数えきれないほど無くし、そのたびに各所を探し回ったり電話してみたり、はたまた作り替えたりとまったく悲しくなる。これは小学生のころからこれっぽっちも変わらない。いつも常に恐怖を感じながら生活している。

 

なんで鍵をなくすのか、もちろん原因はいろいろある。多くの場合決まった場所、決まったパターンから例外的に外れた瞬間に紛失のリスクが飛躍的に高まる。また、決まったパターンが自分の体になじんでいない時も非常に危険だ。なんていうか憶えられない…。

 

短期記憶があまりにも短すぎるのか長期記憶にならないのかまったくわからないが、ともかく鍵は頻繁になくす。借りた鍵も無くす。だから誰かから鍵を預けられた時なんかは尋常でないほどの緊張をする。自分は信用ならない人間だから絶対に大切なものを預けないでくれ、と言っても嫌な顔をされて「なんでそんなこともできないの?」と言われたこともしばしばある。心が痛い。

 

自分でもわかってる!こんなこともできないなんて!なんて不甲斐ない!そう責めたりもする。自分には向いていない事なんだ、仕方ないことなんだと言い聞かせても惨めなだけだ。どうにも細々と忘れてばかりいるせいか、トラウマになってるような気もする。

 

学校では一般的にできることができないとつらい

どうにも軽く信用されてからこういった紛失などがあると一気にポンコツというか常識では考えられない屑的な扱いをされてしまう。まあ正しいのだけれど…。とはいえ仕事を押し付けられてこなせなかったから無能の烙印を押されるのはホント心にダメージを食らう。学校の仕事なんかは本当につらくてつらくて仕方なかった。

 

小学校の頃もそういえばいろんな鍵をなくしていた気がする。どこかの準備室の鍵とか。他にも絶対に忘れてはいけない生徒個人の情報が書かれた紙とかをどこかにやってしまったこともあった。結局どこかから見つかったのでことなきを得たが、生きた心地がせず、相当危ない人間、ポンコツとして見られてスクールカーストの最底辺が決まった瞬間だったように思う。

 

じゃあ今はどうやって生活してるのか?というとそういった昔の恐怖体験や忘れてしまった時の相当な心の痛みなどによって思い出されている気がする。要はトラウマで失くさないように必死にしがみついている感じだ。似ているものとしては椅子の座るところに置かれた画鋲みたいなものである。

 

あれは一度やられると学校を卒業して10年くらいはずっと椅子に座る前に不審物がないかを確認する癖がつくんじゃないだろうか。いまでもちょっと警戒しているような気もする。体に危害が加わるとその痛みを覚えているから忘れないようになる。それを悪用すると体罰とかになるのだと思うが…。けれどやっぱり忘れるときは忘れるから、悲しくなる。

 

対症療法的対策

結局のところなるべく鍵を持たないようにする、重要な役割から回避できるようにする、もしくはテクノロジーで自分を守る。こういったところが対策のように思う。テクノロジーはローテクでもいい。手に鍵を忘れないと書くとか、手首に巻き付けるとか首にぶら下げるとか。自分の体に常に接触させることで存在を忘れにくくさせる手法だ。

 

もっと近代的にするならMAMORIOなどの電子タグ的なものをいっしょにくっつけるしかないのではないか。パッと調べてヒットしたのがこれだったのだけれどあまり評判はよろしくなさそう。ただ似たような製品はいろいろありそうなので、良い製品を選んでつけたほうがいいのだろうなと思う。

mamorio.jp

 

おわりに

ちなみに傘を電車内に忘れて帰るとか、帰り際に買ってくるものを忘れてしまうみたいなことはまた別の心理的作用が働いている。これはあまりにも習慣化された何もしない帰宅というルーチンがいつもとは違うルーチンよりも無意識のうちに優先されてしまうからだ。だから多くの人はうっかり忘れてしまう。ある意味人間の適応力というか…。

 

それはともかく大事なものでもすっかりと記憶が消え失せてどこか不明になるというのは恐ろしいものだ。一度父親から本気で「大事に思ってもいないから忘れるんだ!」と怒鳴られたことがあるが、何が大事なのか、どう思えば大事に思えるのか、なによりも心がつらくてつらくて逃げ出したい気持ちになるから悲しくなる。

 

要は鍵というものが嫌なのだ。大切なものだとはわかっている。家族を守る鍵ならきちんと守ることが平穏につながる。信頼しているから預けられる鍵もあるだろう。けれども…あまり人間というものを信用せず、テクノロジーでぜひとも保証して保護してほしい。そう望むのはいけないことだろうか…。