かやのみ日記帳

読書の感想や思想を書いています!

感覚派な生き方

 

自分の言葉で説明することを楽しむ

例えばランニングを新しく始めて徐々にうまく走れるようになったりすると、自分の中にコツみたいなものができると思う。それは自分の中の感覚やイメージそのもので、それをうまく明文化できるように試すのが好きだ。それを楽しむためにそういった活動をしているようにも思う。

 

ランニングなどをしているときとかはたくさん自分の中で言葉にできないかをいろいろ考えたりする。今、自分はどういう風に体を動かそうとしているのか、理想はどんな感じなのか、感覚なのか。そういったあいまいなものを自分の言葉でうまく表現できないかを楽しんでいる。

 

地面を蹴って進んでいるのか、それともうまく体を前に進ませているのか。ももをひきあげる運動と体をうまく連動させて…とか。はたまたどんなイメージで走るかも考えたりする。一本の棒として考えるのか、車輪の付いた乗り物的に考えようか…それとも足に箱がくっついてるイメージか。

 

ポピュラーなスポーツであればあるほどイメージに対していろんな言葉が書かれていることが多い。野球なんかではよく自分の近くに壁があるイメージで、とか。そういった言葉を学んだあと、自分の中でそれがしっくりくるのか、もしくは別な言葉で表現したくなるのか。そういったことを考える。

 

そうこうして運動に慣れてきて集中が高まると不思議な感覚がするときがあったり、とってもうまくいく体験が生まれたりする。そうした感覚派はあやふやでまるで夢のようにも感じられるけど、うまく言葉にできると何かコツを掴めたような気がしてくる。

 

これがスポーツとか体験の醍醐味じゃないかなと思っている。スポーツが与えるものはおそらく誰にとっても変わらないと思うが、それを受け取る人間はみなそれぞれ違うから異なる感想、体験が得られる。それをもっと自分の言葉で表せるようになった時、その体験は自分固有のもの、じぶんにしか得られなかったものになるんじゃないだろうか。

 

だから一番になるとかうまくなるとか、それだけが目的じゃなくてある種一般的に知られていることとかに対して自分の中で自分にしかない言葉で語れるようになる、そういうことがきっと価値あることなんじゃないかと思う。

 

世界中どこの景色でもGoogle ストリートビューで観れるかもしれない。それに対してなぜ旅行に行ったりするのか?と問いかけられたら、自分で自分の目で見て体験して自分の言葉で表したいということは間違った解答じゃないと信じている。

 

おわりに

言葉にできると何がいいかと言うとシェアしやすくなるということだ。自分の感じたものを人に話すことができるようになる。自分の内側で得られた他にはない感覚を伝えることができ、時にそれは魅力的に、もしくは情熱的に感じられるのだと思う。それはまだ他人にはないか、もしくは非常に似通った別な言葉で示されたものだと共感されるからか。

 

自分のやってきたことを記録として外からはっきり判断するのもわかりやすくていいとは思うが、内面的な活動で得られたものもそれには劣らないモノだと思っている。