かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

Linkin ParkのNumb から感じた親への息苦しさとか

 

Numb

Linkin Park の Numb の歌詞が良かった。PVももちろん良い。


Numb (Official Video) - Linkin Park

あんまりちゃんと歌詞を読み解こうとしていなかったのだが、ふと思い立って調べてみるとずいぶんいい歌詞だった。気に入ったものは積極的に調べないといけないなあと少し反省。

hairtoty.hatenadiary.jp

特に気に入った歌詞の部分を引用させていただくと

Every step that I take is another mistake to you
俺がとるどんな進歩も 君にとってはまたそれも同じ過ちなんだ

なかなか深い意味だなあと思う。もっと意訳してみれば、なにかを始めたってあなたにとっちゃ新しい間違いなんだろ?という感じである。すごい悲しい言葉だなあ。何をするにしても気に入らない親というのは必ずいる。

 

この曲はブログの記事の解説では以下のように書かれていてなるほど、心に突き刺さる歌詞でいっぱいだなあとしみじみ感じた。しみる。

歌詞は分かりにくいですが自分の親について歌われています。おそらく母親でしょうか。洋楽では母親についての曲が非常に多く、マム・ソング(Mom Song)と言われたりもします。

この曲では、子供に「自分の人生のやり直しをさせようとしてしまう親」に対するティーンズの気持ちが上手く描かれています

 

歌詞それぞれに思うこと

例えば始めのこんな歌詞。

I'm tired of being what you want me to be
君が望むような存在でいることに疲れた

自分の人生のやり直しをさせようとする、というのはよくある。過去の栄光にすがりたいとか、自分にはできなかったことを子供に叶えてほしいという親の私欲丸出しなもの。他にも自分のコンプレックスを思いっきりぶつける人もいる。

 

勉強ができないから難関大学合格を目指してスパルタに教える親とか。そのわりに頭がよくなるととたんに機嫌が悪くなる。自分が育てたんだから自分より偉そうだと怒るわけだ。何をしても望み通りにはならない。そんな誰かに求められた生き方はとっても疲れる。

 

Can't you see that you're smothering me?
俺を息苦しくさせてしまっているのが分かる?
Holding too tightly, afraid to lose control
必要以上にきつく縛って コントロールできなくなるのを恐れてる

そうした何かを必要以上に求め、自分以上の何かになってほしいと願いつつ、自分のコントロール下にあってほしいと願う。これがあまりに息苦しい。

 

自分の為の道具であることを求め続けられるのだ。自分の夢のかわりなのだから、自分自身の代償だと感じられなくなるのを恐れる。けれど必ず破たんするのだけど、それを無理やりつなぎとめようとしてお互い傷つく。

 

I'm becoming this all I want to do
俺はなりつつある 本当になりたいものに
Is be more like me and be less like you
それはより俺らしく そして君らしくなくなること

ここらへんの歌詞はリズムが効いているし、文章を見ても美しい。
more like me と less like you の対比がいい。より自分らしくなれば、あなたとは違ってくる。それは至極当たり前のことで、自然なこと。本来は喜ばしいことのはずなのに。それを認めない人がいるというのは悲しいこと。

 

And I know I may end up failing too
わかってる 俺も最後には失敗するんだろう
But I know you were just like me
でもわかる あんたも俺と同じように
With someone disappointed in you
自分に失望した人と一緒に暮らしてきたんだ

And I know , But I Know もきれいだなあと思う。でも文章はとっても切ない。不幸の連鎖は親の親から来ていることも多い。誰かに求められ続け奪われ続けた人が、親になっても何も得られなかった悔しさから子供から奪おうとすることもある。それは貧しかったから、とかそういったウソの納得からそれらしき理屈をつけて自分に権利があると主張したりする。

 

 

何かを奪われたりやりたいことができなかった人はその鬱憤を自分の子どもにぶつけていいのか、もしくは他人とか配偶者から奪おうとしていいのか。この問題の答えは明確だ。そもそもこれは正しいとか間違っているという次元じゃなく、まずやりたいことは自分でやらなきゃ満たされない。人に何かを求めても得られるものは何もないと知らないと救われない。それを知らない人が人を不幸にする。自分で感じてる不満も感じられないようになっている。

 

PVも美しい。何も感じられないという歌詞に合わせて風景から取り残された女性がうまく描写されている。周囲から期待されたり浮いてしまうけれど、自分のやりたいことをただひたすらにやり続けるしかない。

 

疲れて何も感じられなくなる…けれどどこか怒りがあり、叫びがある。そうして変わっていくぞと、もう縛りなんかごめんだ、そういった縛り付ける存在なんか知るか!みたいな気持ちなんじゃないだろうか。おもいきり疲れた!もううんざりだー!と叫んで叫んで、怒って、それで自分らしく生きるぞと言えるといいなと思う。

 

おわりに

個人的には今回、この歌詞の和訳は一人称をぼやかしてもよかったんじゃないだろうか。PVでの主役は間違いなく女性なわけなので、私はとか。俺だとちょっと限定されすぎていて少し合わないかと思う。ここらへん英語は I'm できれいにまとまってて美しいなあと感じる。 you は あなたで統一できるし、歌詞のニュアンスをそのまま写し取るのはやっぱり至難の業だ。

 

疲れた時や人に期待をかけられたり怒られたりしたときぜひ聞きたいなと思う。自分の疲れを力強く代弁してくれるような気がする。歌は時に自分の心の気持ちを代弁してくれるから、少し疲れが取れるときもあると思う。