かやのみ日記帳

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自分が考える天職について

 

お金で天職を測る

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今まで人生で一番お金をつぎ込んだものに携わる仕事が天職というのは面白い視点だなあと思う。自分の場合は…うーん。案外ごはんだったりするんじゃないだろうか。毎日食べてるし。食費にわりとお金はかかっていると思う。

 

ちょくちょくゲームを買ったりはするけど、一番楽しんでいるのはごはんだったりする。他には本を大量に購入してるし…。あまり特定の物にお金をかけすぎないタイプなのでちょっと微妙だ。

 

自分の人生を振り返る

で、自分がいちばんしっくりくるやりたいことってなんだろう?と考えてみた。その際の基準はいったいなんだろうか?お金か?それとも他にあるだろうか。自分の価値観の中で大切なものは何だろうか。一番時間をかけたり、手放せないもの、人生において大事にしてきたことは?

 

過去を振り返ってみて、重要な分岐点がいくつもあったと思う。そうした時、自分はどんな判断をどんな基準でやってきたのか。振り返ってみるとなかなか面白い。自分にとって大事なことはなるべく自分の時間を大切にして、自分が興味を掻き立てられることを追求する、体験するみたいな感じだったと思う。

 

あまり人生を一貫して追求しているテーマみたいなものはなかった。具体的に料理人になりたいなんていうこともなかったし、お金持ちになりたいなんても思ってはいなかった。自分がどんな人間になりたいかも考えていなかった。目先のことだけを追い求めるような人生だった。

 

内向的人間だから自分の時間を大切にしたい

自分の時間を大切にしたいというのは、ある意味大人になって「内向型人間」というキーワードを知ってからわかったことかもしれない。今までは一人で閉じこもることは悪いことで、社交的でないダメ人間のような後ろめたさがあったから自分の中でもタブーにしていた気がする。

 

けれど昔から内向的だった自分は、集団で何かをずっと続けるみたいなことは御免だった。できるなら自分の中で様々なことを整理して、次へと向かう充電期間をしっかりと設けたかった。デメリットだと思っていたけど、これは自分の特性であると理解できれば、自分に必要なものと感じられる。

 

気になることを調べたい

一つ自分の人生の中で一貫してやっていたことと言えば「気になる」である。なにか気になる。どういうことなのか気になる。わからないから調べたくなる。それだけだ。その対象はなんでもよくて、その時々に気になることは生まれてくる。それが難しいけどわかりそうだと熱中する。わかって自分の中で説明できるようになると満足する。

 

だから自分にとって天職というか、今後もやりたいと思うことはきっと「気になる」を満たすという感じだと思う。どうしてこうなっているのか?どうやったらうまくいくのか。いろんなことは気になるけど、だからと言ってすべてがお金になるわけじゃない。

 

けれども自分がやりたいことはたぶん、こういうことである。こういったことをちょくちょく満たせればそこそこ満足できる。何も考えないようなことはしたくないし、決まりきったことを繰り返したり進歩がないことはつらい。わかっていても何もできない場合なども同様だ。

 

やりたいこと

そうしたものにきちんとした道理とか理由があって、それを学べるなら面白いと思う。どういった歴史があるのかなど。そうした自分の気になるところを学べる環境なら嬉しい。が、仕事は遊びじゃないとか残業!とかそういう環境は自分には間違いなく向いてないだろうなと思う。

 

自分本位ではあるけど、だいたいこんな感じだ。そういった自分がかつて調べたことや学んだこと、自分の中でかみ砕いて柔らかくしたものを人に伝えられたりできれば素晴らしいと思う。自分のやりたかったことの副次的な作用として人から感謝されてお金がもらえるといいなあなんて考えてたりする。

 

ここらへんは任天堂の岩田社長の言うことに影響されている。

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自分が頑張っていること、一番情熱的にやっていることを仕事にするとよく燃え尽きた入り、趣味が嫌いになったりするなんてよく言われる。自分もそれにはすごく同意する。

 

けれど趣味でやっていることや自分がやりたいと思っていることの副次的な作用について、それが自分にとって大変じゃないのに人から感謝されてお金がもらえるとなれば、きっとそれが天職なんじゃないだろうか。夢物語なのかもしれないけど、それを少し信じたい。

 

おわりに

こういってはまあ…あれかもしれないが、大学の教授陣たちは教授というのが天職である人が多かったように見えるのだ。自分がやりたいことは研究で、その副次的な効果として講義がある。講義をやると未来の学生を育て、地域社会に貢献し、そのうえ大学の名誉にもつながる。けれど教授本人にとってはあくまで副次的なもののように思う。

 

ぶっちゃけ適当にやってもいいし、本気でやってもいい。が、もともとその能力は本筋の研究から零れ出た副次的なものだ。その副次的なものを学生たちは喜ぶ。その関係がわりといいんじゃないかと思う。もちろん講義が苦手な方もいらっしゃるだろうし、きちんとやろうとする人やむしろ本業は講義という人もいるとは思う。

 

けれどのびのびと自身の研究も講義も、学生への研究指導も、すべて楽しんでいる教授もいる。そういった人に憧れたのだ。自分が教授になりたいとは露ほどにも思わないけど、そういったスタイルは目指したいなと思っている。できれば自分自身を犠牲にして頑張るような仕事ではなく、趣味ばかりというわけでなく、両方を活き活きとできることがいいんじゃないだろうか。