かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

動物園に大人になってから行ってみて感じたこと

 

大人から見た視線

今週のお題「芸術の秋」、微妙に違うかもしれないが動物園について。

 

子どもの頃、動物園に見学に行ったことがある。その時は余りにも広すぎて迷子になり、序盤の方でたくさん写真を撮りすぎてしまい枚数を切らし、最後はまったく何も見れずにとにかく走った気がする。当時の自分のお目当てはペンギンだったのだが、ちらっと見かけただけだった。

 

当時の自分には動物とは何か?ということをよく知らなかったのだと思う。そこにある不思議さに気づくことはなかった。自分たち人間とは違う形をした、心臓を持ち呼吸し、食物を食べる生命体がどれほど不思議か考えもしなかった。動物というくくりをまだ理解できていなかったからだと思う。

 

そんな自分だが大人になってからリベンジということで動物園を見てみた。入ってから案内板を見てみるとやはりすごく広く感じる。足もものすごい疲れそうだと予測できる。子供の頃は足が疲れたことなんてちっともなかった気がするのに、大人になってからはやけに疲れる。そんなことを最初に思うあたり、少々寂しい。

 

動物園で最初に目につくのは檻だ。檻の中に動物が寝そべっていたり何かをしていたりする。子供は檻の隙間から動物を見ようとする。子供にとって檻は邪魔ものなのだ。だが、大人の視点で見ると檻は檻自体が展示物のようにも見える。そこは動物の住む環境そのものなのだ。

 

動物園は動物をただ飾っているのではなく、檻も含め、なんとなくだが生活圏を感じさせる作りになっている気がした。動物園にいる動物たちはそれぞれ快適な生活が送れるように配慮されている。だからその動物がいる範囲は、彼らの生活圏なのだ。そして人間は彼らの生活圏に歩いて会いに行く、そんな風に感じた。

 

動物園という文字から考える

動物園は美術館や水族館のように館とは普通つかない。美術館や水族館では進行方向があり、展示物には最適な角度や光が当てられ、そこに明確な意図が存在するように思う。だが動物園にはそれがない。むしろ公園のように、ひろびろとした場所でいろんな動物の生活圏に立ち寄る、そんな感じなんじゃないだろうか。

 

だから屋台っぽいのとかがよく似合う。公園のように休んだり、ご飯を食べたり憩いの場にも変貌するのかもしれない。動物に芸をさせるような見世物はサーカスだからやはり違う。動物園はただそこに生きている動物に会いにいって、その環境までも楽しむのが醍醐味なんだろうか。

 

そして小学生の頃ぜひ見たかったペンギンを見てみた。しかしペンギンとはなんとも不思議だ。飛ぶのか飛ばないのか、歩くのか泳ぐのか。何を考えているかもわからないけれどなんだかかわいくて仕方がない。愛らしいフォルムとはまさにこのこと…とじっくり眺め不思議だ不思議だと思っていた。

 

暗い考え

しかしまあ動物園にいる動物は幸せなのか不幸せなのか。人間はこんなにも多種多様な動物を一か所にまとめて管理し、見世物にする在り方は正しいのか。そんな風にちらっと思ったが、動物園とはそもそもこの世界の自然そのものの縮図みたいなものだ。

 

都会はビルばっかりで他の動物は見ない、自然じゃないと思いがちだがもう少し大きなスケールで観れば自然ばっかりなんだろう。人間が暮らしているのもごく一部に過ぎない。動物園なんかよっぽどちっぽけなんだろう。都会だって都会の周りはきっと自然なのだ。日本は海に囲われてるからそういう世界的な自然を感じることが少ないのかもしれない。

 

なにより動物園に大量に人がいて動物を見るという構図自体も面白い。人間だって展示物だと思ってしまえばいい。動物を見る人間というタイトルをつけていかに人間が愚かかを示しているとか。動物に我々はむしろ見られているのだとか。

 

そんなことを疲れたから休憩がてらどこかの動物の肉が入った食事をとりつつ考えたりした。この食物をあの動物の展示と結びつけるなんて、やっぱり大人になると鬱々としたことを考えちゃうものなのかなあなんて思ったりして。けれどおいしいものはおいしいので自分はまあそれで幸せなのも事実なのだ。

 

おわりに

たっぷり動物園を堪能して家に帰って来てだらだらとして夕飯を食べてほっと一息、風呂に入ってお布団で休む。次の日は疲れたので何もせず家で過ごす。自分の生態系を観察していただくなら、こうして家に籠っている姿にしてほしい。

 

大人になってから動物園に行ってみて、まあやっぱり裏事情というか動物園って意外とダークなんじゃないかと考えてしまった。こういったことはなんとなく小説とかSFとかの題材になりがちな気もする。

 

動物園で自分がどう感じるか、何を知りたいのか、何を得たいと思うのか。それはそれぞれ理由も結果もかなり自由に異なる気がする。ただ動物がどんな姿かみたい人もいるし、写真をたくさん撮りたい人もいる。自分という存在と展示されている動物との違いについて悩んじゃったりする人もいたりする。

 

それぞれ動物園という一つの場所で全ての人に同じように展示されているはずなのに、受け取り方がずいぶんと自由だ。そこが動物園のいいところなのかもしれない、そんな風に思った。