かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

ユーザはなぜその製品をもっと愛したいのか?その愛にこたえるには?ということについて考えた

 

自分のスマートフォンのロック画面や背景画像はデフォルトのままだ。昔はかなり気合を入れてカスタマイズをしたものだった。だが、ふとスマートフォンのアプリはすべて全画面表示なので背景などを見る暇がないことに気付いた。だいたいの時間をTwitterのタイムラインを眺めるのに使ってたりすると気にならなくなってしまった。

 

ただ使っていくうちに便利じゃない点や不満な点や、ちょっとした気分転換なんかをしたくなってくる。そういったとき着せ替えなどができるとより愛着が増すように思う。最初からあっても別にいじりもしないのだが、カスタマイズができることでより長い間それを好きでい続けられると思う。

 

だからスマートフォンなどの日常的に使うものにはみな自分自身の愛着を高めようとするのかもしれない。それは心理学的に分析してみると非常に面白そうな気もする。他人に埋もれないようにする縄張り意識とか狩猟の成果を差別化したい意識なのか。

 

最近某ゲームが課金だらけで話題になっていたが、日本製のDLCの特徴としてキャラクターの着せ替えなんかが多いというのがあった。これはもしかするとゲームに対して好きでいたいという意識を持ったプレイヤーに対しての選択肢なのかもしれない。ゲーム販売側にも戦略はあるだろうが、実はユーザへの配慮なのかもしれない。

 

今まで自分はそういった課金要素は中身を伴わずにお金だけが消費されるコンテンツのように思っていたけれど、他人との差別化や自分特有のこだわりやそのゲームをもっと長く深く愛したい人たちへの配慮とも思えてくるようになった。ある一定の層はきっとそのゲームをもっと愛したいと思うコアな人たちがいるのだ。

 

それはiPhoneが大好きな人たちなどと似ている気がする。なぜAppleを使いたいのか?という問いではなく、なぜAppleをもっと愛したいのか?iPhoneを愛したいのか?という問いのほうがふさわしいように思うのだ。そしてそれに応えるべくAppleは製品を開発する。それはちょっと明確に違うような気もするのだ。

 

にわとりかたまごか、みたいにも思える。ユーザが愛してくれるからそういったカスタマイズ要素をどんどん追加しようとするのか、それともカスタマイズを豊富にすることでユーザから愛してもらおうとするのか。けれどもその二つにはかなりの違いがある気がする。まずは愛してもらわないかぎりカスタマイズはされないからだ。

 

 なぜその製品は愛されうるのか、どうやったら愛されるのか。そのうえでどのようにしてこたえるのか。その順番にも深い意味があるような気がする。