かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

ビッグデータと富について思うこと

 

持つものにより多く集まる性質

ちょっと前に21世紀の資本が話題になった。あまり詳しいとは言えないが、大雑把に言えば普通に働いて稼ぐよりも資本家が持つ資本が生む稼ぎのほうが大きいから格差が生まれるという話だったと思う。つまりお金を持つものにお金は必然的に集まるというわけだ。

 

これはビッグデータなどの最近のIT企業にも言えるんじゃないかと思う。ビッグデータを活用してディープラーニングやらAIの開発などに注力している会社は多い。データの量が増えれば増えるほど提供できる能力は向上していくものと考えられる。これはまあ素人考えかもしれないが。

 

ともかくとして様々なデータを大量に使えるというのはかなりのアドバンテージのように思う。それを活用してデータを提供する人、つまりはユーザに還元できればユーザはとても喜ぶだろう。そうして利用者が増え、データが増え、機能が増え…とどんどんループが始まっていく。

 

だからデータを持つ企業に今後はどんどんデータが集中していくのではないかなんて思ったりした。最近Googleが出したGoogle Homeなどもそうだけど、ユーザの情報をどんどん積極的に集めようとしている。そしてそこで集めたデータをほかの部分にもどんどん活用していく。

 

今新しく会社を始めてAIを作って…みたいなことをやっても十分なデータを得るのにはすごく時間がかかるものと思われる。それにユーザがずっと使い続けてくれて、継続的なデータが得られるかも課題だ。それをGoogle検索エンジンの時代からずっと情報を集積しつづけているとなるとなかなか太刀打ちできない気がしてくる。

 

Google検索エンジン、OS、ウェブブラウザとどんどん勢力を伸ばし、それぞれのサービスが高密度に連携できるようになっている。GoogleHomeでしゃべった内容はPC、スマートフォンなどのブラウザ間で共通に使うことができる。データをいろんなデバイスから継続して送信し続けている。送れば送るほど便利になると信じて。

 

人間は成長し続けているのか?

また、思うのがコンピュータの成長速度についてだ。コンピュータは今に至るまでずっと進化を続けている。記憶容量、計算速度…。しかし人間の知性はいかほどに進化しただろうか。計算速度や記憶容量は進化したか?おそらく1000年ほどまったく進化していない。少しは栄養事情でよくなったとはいえるかもしれないが。

 

これから先機械の進歩はますます早くなり、ますます記憶し、計算が高速化される。量子コンピュータなんてものもでてしまった。そうしたなかでたくさんのデータをもとに自動で分析して自分でなにかを判断するようになってくる。その機械の知性の成長に人間は追いつけるのだろうか。人間のハードウェアの進化は止まっているのに。

 

いま現代の人々はこれまでにない豊かさと頭の良さを手に入れたと思っている。けれどもそれは肉体的な成長ではなく、人間の外側のテクノロジーの進化によるものだ。人間自体の成長が起きたわけではない。こうした人間の知性を機械が抜き去り、さらに成長してくところがシンギュラリティ、技術的特異点なのだろう。

 

その前段階として情報を誰が一番独占できるかが始まっているのではないか。だれに一番情報が集まり、その情報をもとに何かを成長させ、それを人類が利用してさらに賢くさせる。そういう時代になってきたのかもなあとちょっとずつ感じるようになってきた気がする。

 

仮想通貨なんかも流行っていると思うが、それよりも水面下で情報をだれが寡占できるかという戦いが巻き起こっているのかもしれない。もはや人間を置き去りにして。