かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

ウソ発見器は本当に役に立つのか

 

子どもの頃、ウソ発見器というものを知った後でどうやったらウソ発見器にばれずに済むか?を考えていたことがある。けれど案外すぐに答えは出た。ウソをウソだと思わず本気で信じ込んでいればウソではなくなるのだ。もしくはウソを本物だと与えられた人間はウソにはならなくなる。

 

おそらくだが強烈に自己暗示とかそういったことをすればウソではなくなるような気もする。が、もっとも確実なのは本人にとっては本当のことであるということだと思う。こういった場合あの手この手を尽くしても結局、本人にはウソの情報しか与えられていなかったことしかわからず徒労になる。

 

特に厄介なのは映画・メメントのような何分かで記憶を本当に完全に失くしてしまう人だったりするだろう。そもそもこの映画の肝は過去の自分がついたウソと本当の区別を本人自身がつけられなくなっている、その点である。痛烈に自分の記憶とはいかに自分にウソをつくかということを示しているようにも思える。

 

まあこういった点で人を見ればわかるとか言う人は本当かな?と思う。なぜなら人は記憶を自分の思い通りに改竄することもできるからだ。本当にはなりにくいが、本当そのものの反応に似せることは案外できる。別々な経験をうまく織り交ぜて本当のようにするのは就活生の常套手段のように思う。

 

ちょっと似ているようなものとして常識が同じものと思い込んで間違うケースがあると思う。例えばパソコンを上手に使える人ということで募集を出して、パソコンを使ったという前提を抜きにして色々能力について聞いて採用した後でスマートフォンしか使えなかったみたいな。

 

ある意味正しい質問をきちんと行い、前提や文化がきちんとあっていないと普段の生活も間違えてしまうという反省にもなる気はする。ただ一面でのウソを見抜こうとしたり人を見定めようとすることは危険だと思う。