かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

ゲームでよくある申し訳ないナラティブさ

 

ナラティブって何?

ストーリー不要の時代

GDCの最優秀脚本賞がなくなり最優秀ナラティブ賞に変わったことを受けたCEDEC 2013 カンファレンスの記事。 http://www.4gamer.net/games/999/G999905/20130827028/

2018/01/16 11:17

b.hatena.ne.jp

こちらの記事のブックマークコメントが面白かった。ナラティブという単語は全然知らなかったので集中して読めたと思う。重厚なストーリーとしてメタルギアソリッドなどが挙げられていて、なるほどなあと思った。主人公があまりにも強すぎ+過酷すぎて実体験のように感じられないということ。

 

ナラティブとは自分自身の体験として感じられること、という風に自分は受け取った。それと同時に物語のキャラクターとして行動したくなる、生きたくなるということでもあると思う。

 

上記の記事ではグランドセフトオートをプレイする人々は決して主人公になりたいわけではない、とあった。だが、一部は主人公になり切りたくなる部分もあると思う。完全にナラティブじゃないわけではない。

 

グランドセフトオートはストーリーで悪事を働くようにゲームから求められる。強盗、襲撃、殺人、銀行強盗…。そうしてキャラクター性をプレイヤーは学んでいく。

 

GTAVでナラティブな体験をしたなあと思うのはフランクリンでストーリーでもなんでもないところでひたすらに車の運転を楽しんだことだ。ちゃんと交通法を守り、ラジオを聴きながら運転する。マップの空いているところを埋めに行く。高速道路をだらだらスポーツカーで走る。

 

普段は信号なんか守らないし、ドリフトしまくり、特殊能力を使い、邪魔な車やちょっとでもぶつかった車なんかは爆破したりしていたが、交通ルールを守ってみると急に世界が近くなったような気分になった。その世界で生きる人々と同じ目線というか、リアルさ、自分らしさを感じた。あーそもそも自分なら絶対守るもんなあという。

 

GTAVではそういった本当の自分自身の普通の行動と、主人公たちがストーリー中で求められる数々の悪事へのバランスが面白かったと思う。あえて普通の行動をしてみた後で、GTA流の行動と彼らの悪事への感情をきっちり感じきることでより面白くゲームが遊べたと思う。自分ももしかしたらここまで酷い世界観と設定ならば暴れまわっていたかもという具合に。

 

評判と実際の相違

もう一つ、ナラティブさという意味では微妙なのかわからないが、思いついたのはエースコンバットである。エースコンバットでは主人公の顔はでてこない。性格なども極めて謎だが、スゴウデであるとストーリー中で徐々に敵味方に知れ渡っていく…。

 

エースコンバットでは主人公=プレイヤーなのだが、自分の腕がへたっぴだと本当に申し訳なくなる。僚機のほうがよっぽど頼りがいあるエースだと思うこともしばしば。海につっこんだり壁に激突したり、敵機にぶつかったりおおよそへっぽこプレイヤーである。

 

無線でうちの隊長は頼りになるエースと言われながら、実際のところミサイルから逃げ回るのに必死なだけだと、ゲーム中の理想の隊長像と自分自身がかけ離れていく。ある意味ナラティブさの喪失と言えるかもしれない。

 

こういった主人公はプレイヤーと同一視され、ストーリー中に活躍していくタイプのゲームは腕があまりよくないので申し訳ない…と常々思ってしまう。もう一度エースコンバットを引き合いに出すが、編隊飛行を行う場面があるが、まったくもって適当な飛行しかできず現実なら隊長失格まちがいなし…。

 

ともかくとして、そのゲームの主人公でありたいという気持ち、そのゲームで実際に体験したかのように味わうということ。そういった気持ちにナラティブという言葉が当てはまるのだろう。これから味わうゲームに対してナラティブさを少し考えてみてもいいかもしれない。