かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

ぼろぼろの愛着

 

傷を恐れない

悩む理由が値段なら買え、買う理由が値段なら止めておけ。この言葉について最近試す機会があった。値段が高いから迷っていたのだけれど、この言葉を信じようと思い、購入した。その結果は大満足だった。

 

安さを売りにしていたものもあった。確かに惹かれるものがあった。機能面としては問題ないのかもしれないが、それは値段による納得みたいなものだ。

 

少々高い買い物をして貯金にダメージをうけたが、お金の損失はお金で埋めることができる。でも欲しいものは欲しいものでしかきっと埋まらないのだろう。他のものじゃ代用が効かないとはこのことかと興味深く思う。

 

よくある小説のキャラクターの設定なんかでは愛がほしいのにそれを自覚できず他人を苦しめたりする、なんていうのがある。心理学的にも代償行為なんていうのかもしれないけど、欲しいものは欲しいものでしか埋まらない。

 

それはそうとして、高い買い物をしたあとはそれをキレイに守りたくなるのが普通だと思う。傷がつかないようにと丁寧に扱い、場合によっては飾りだすこともあるだろう。が、あるときに落としたり不注意で傷がついて散々悲しい想いをする。

 

しかし本当にいいものというのは長持ちするとか傷がつけばつくほど愛着が湧くとか言われる。そういった持ち主の愛着や長年の愛用によるものは作った人の気持ちにも報いているようにも思える。

 

ただ最近はスマートフォンなどに対しては愛着どころじゃないような気もする。画面が割れても愛着だというのはさすがに無理がある。さすがに安全を損ないかねない、耐久性を失ったものを使い続けては作った人も泣いてしまうだろうなとも思う。

 

だがまあ、基本的には値段よりも買いたいという気持ちで買ったものは傷がついてもなんでも愛を優先したいものだ。傷がついて落ち込むよりも、愛用し続けることを大事にしたい。もちろん大切に扱ったほうがいいから傷に気をつけるのはいいことだ。

 

けれども使ってもらったほうが作った方も喜ばれるということを忘れないでおきたい。最後の最後まで使い切ったその姿はきっといいものだろうと思うのだ。