かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

ホワイトボードの進化した先はどうなるんだろうか

 

ホワイトボードの便利さと不思議

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上記記事を見てふと、ホワイトボードって万能感あるなあと思った。仕事でも研究でも大人になってからはやたらと目にして使うようになったと思う。なお上記記事に関することはこれで終いである…。申し訳ないが、横道に思いっきりそれさせてもらおう。

 

子供の頃は黒板だったのかもしれないが、落書きやいたずらをしたりするのに使うことが大半だったので基本的に触らせてもらえなかった。それに手が汚れるのでほとんど書きたいとは思わなかったことも大きい。

 

大学に入ると講義もホワイトボードで扱うことが普通だった。研究室に入るといよいよ本格的にホワイトボードを使い始めることになった。なにかにつけてホワイトボードがひっぱり出されていた気がする。先輩方が研究テーマについて議論し始めたときには必ずそばにホワイトボードがあった。

 

ホワイトボードに求められているものはなんだろうか。おそらくすぐに書けて、大きな面積を持ち、消すのが容易であることなのだろう。これらは電子化ではほんの少し難しい。コスト面もそうだし、反応が鈍かったりする。

 

なぜホワイトボードが選ばれるのか。ホワイトボードに変わるものはないのか。どうやらホワイトボードは1985年ごろから流行り始めたとWikipediaには書いてある。それから20数年がたっても未だに現役である。そんなことを言ったら黒板の歴史には敵わないが。

 

案外今後のホワイトボードからの進化はスマートスピーカーなどの自動文字起こしと画像生成などに取って代わるのかもしれない。これは願望だが、議論をしているなかで自然と議事録のように話している内容がボードの上に自動で文字に起こされていくといいなと思う。

 

そこまでの頭の良さを実現するのは難しいかもしれないが、要は人類がだんだんと手で書くという作業からゆっくりと解放されていったら面白いなと思う。前にも書いたが、現代の子供の一部はすでにパソコンのキーボード入力ではなくスマートフォンのタッチ操作に馴染んでいる。デジタルネイティブな世代だ。

 

そういったネイティブらしい感性をもとに、今後文字を書くよりも言葉を話して整理してもらうことがより馴染んだ世界が訪れたとき人類の思考や生産性がより変化するのかもしれない。

 

ホワイトボードはたしかに便利で、文字や記号、数式、図表を自由自在に配置して瞬時に書き、思考を整理することができる。が、その速度を超える未来がこないだろうかとほんの少し期待もしている。