かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

エンジニアという憧れと呪い

 

今日もどこかで登壇記事とかブログ記事が出てくる。
それらは個人個人なのに、ぼんやり一つの”よいエンジニア像”として扱ってしまう。

神絵師ってやつが毎日絵を描いているように見えるようなものだ。

 

毎日コードを書こう。毎週ブログ記事を書こう。日常の課題もチケット管理しよう。
一人ひとり別のことを言ってるはずなのに、全部統合される。

全部やらなきゃ駄目な気持ちになる。

 

エンジニアはSNSやブログなどをうまく使いこなす下地がある。
学生や業界の新人などは目立つ人々を見て、それが普通と錯覚する。
でもそれは自身で勝手に誤解や強調されがちな、ほんの一握りの人々だ。
実際に自分で感じているすごい人達って具体的に何人だろう?

 

インターネットのたちが悪い点は、どんな意見にも必ず賛同する人がいることだ。
批判の数が100億あろうとも、賛同者は1万人集まるなんてこともある。
1万もいたら、Twitterのタイムラインが埋まるだろう。
批判している人たちは全員無知であり、1万人は”目覚めた人たち”である。なーんて。

アメリカで地球平面説が流行ってるなんてジョークだろう?

 

Facebookによる政治思考の誘導みたいな話もある。
人は同質なコミュニティを居心地良く思い、思考を広げ深め、多くの人を感染させる。
感染が広がるほど、実社会にも影響する。TVのアレみてない?おくれてるーみたいな。


ITエンジニアはそういう面があると思う。意図的に使っているかはともかくとして。
そして生存戦略というか…ともかくある程度合理的だと思う。

 

エンジニアはどこからでも働けるからリモートワークの権利を。
ディスプレイ、PC会社負担で。
光熱費もよろしく。裁量労働制で。全部電子化しよう。
これに同意できる人が増えれば増えるほど居心地がよくなる。

 

だから全人類はエンジニアになればいい。
そのほうが話通じやすいし、予算も通るし、いいことばかりじゃないか。
コードを書いてたくさん非効率な作業を自動化すればいい。
こんなに素晴らしいのにエンジニアにならないなんて!
OK、教育も義務化する。エンジニアって職業名じゃなくてもいい、コードを書くんだ!

 


そう、それはそうなんだけど。正しいように思うんだけれども。
では、エンジニアは朝早く起きれるか?ちゃんとした生活リズムは?
ランニングは?ジム通いは?自炊は?瞑想?
こういうのってまあ…余計なお世話って若干イライラするのが普通だろう。

 

ところで、ライチは好きだろうか?自分は好きだが、あまり普段食べない。
お店で買ってもいいし、Amazonだとかいろいろアクセス経路はあるはずだ。
なんで食べないんだろう?健康に良さそうだけど。

 

もし仕事としてライチを使ったイベント、お客様のもてなしを依頼されたら?
自分はある程度楽しんでやれる。来客人数、会場キャパシティ、時間、予算、参加者好き嫌い、色彩などなど…。
やってることはだいたい普段の仕事と変わらない…。
細かい部分は違うし、そこが一番たいへんなのはわかるけど。


だいたい一緒なのは要件や仕様、関係者との調整や注意点などの洗い出しとか。
実際にライチを料理するのは大変そうだが、スキルアップになるかもしれない。

 

じゃ、家でライチの料理作るか?というと全然やる気がでない。
友人を家に招いてライチ料理でもてなしたい?
いやいや、各自コンビニで好きなものかって集合!とかピザ頼んでおしまい。
缶ジュース飲んで、健康に悪い飯を食べながらゲームで笑う小学生ノリが好きだ。

 

料理人が家で料理しないっていうのは、まあ気持ちはわからんでもないのではないか。
パン屋が家でパン食べたくないとか。生理的なものに感じるから、仕方ない?
エンジニアはどうなんだろう?全員がコードをずっと書けるわけではないと思う。

 

 

そもそも人生はいっぱい楽しいことで溢れている。
バイクで世界を旅する趣味の人に毎日コードを書くことを勧めても笑われるだけだ。
手芸教室を開いて様々な人に教えるのが趣味の人に、コードを勧めてもしょうがない。
それぞれに人生の優先度は違う。

そして、コードを指標に人生の幸せとか高み!とか測るべきでない。

 

 

いやーここまで書いても諦めない人こそエンジニアだろう!
自分がそうだし。エッジケース大好きだからね!
バイクを旅する人にIoTや行動ログの可視化とかYoutube配信とか勧めたくなるだろう!
手芸の人に3Dプリンタとかとにかくエンジニアリングバンザイ!すべてをよくする!


だって人類はもうスマートフォンなしじゃ生きていけない!テクノロジーの勝利!
感謝してOSSにコミットして人類の文化にさらに貢献しよう!
こんなに素晴らしいことをなぜやらない?

 

 

…やめよう。自分の心の中の狂信的なエンジニアへのあこがれは、まだ消えてない。
強すぎる憧れは呪いと変わらない。今も自分はまだ罪悪感を感じる。
エンジニアは強い論理的な思考を持って自分を制御しようとする。


でもみんな、人間である。心を持っていて、つらい言葉を聞けば傷つく。
感情はそれぞれ違うし、好きなものも違う。向いているものも違う。
それは論理的じゃない。でもそれが”正しい”

 

だって人間は論理的100%ではなく、感情をもっているのだから。
エンジニアはたまに、いや、無意識にそれをよく忘れてしまう。

人として、他人に優しくなり寛容になり、いいところを見つけよう。
エンジニアがどうとかより、人として善く生きるというのはとても大事だと思う。

コードを書かないことが、エンジニアでないことが人の罪なわけがない。