職場で仕事とは…みたいな My仕事論語り をしてしまった。
深く聞かれてないのに自分語りをしてしまった。非常によろしくない。
年齢を重ねるたび、よくない巧妙さが増していく気がする。
例えば〇〇の本にもあるけど、みたいな文献があるから自分の意見は正しいみたいな。
冷静に振り返るとそれが正しいと感じられたのは、その当時だから。
昔の話なのである。最近アップデートしたか?新しい本、考え方を受け入れたか?
いいや、全然読んでいない。
金言だと思いこんで、いいように自分の話に組み込んで使っているだけだ。
自分の話を強化するのに使えるから覚えているだけで、自己反省などに使えてない。
ようは、自分に都合がいいから覚えて使っている。
本を都合よく選んでないか。自分にとって都合のいい考えばかり身につけてないか。
自分の弁護をするために情報を集めていないか。
自分を信じるために時間を浪費していないか。
たしかに昔がんばって本を読んだ時期がある。かなり大量の本を読んだ。
名著をたくさん読んで感銘をうけた。実際に今も仕事で役立っている知識もある。
けど、アップデートを続けられているか?間違っている可能性を考えたか?
今の世界と合っている考え方ができているかはあまり考えていなかった。
無知の知。自分はすべてを知ることはできないということを知っていること。
だいたいこんな意味だろう。正確に言い過ぎてもしょうがない。
有名な言葉だけど、時間経過によって”知っていることを知らなくなる”可能性があることを考えていなかった。
知識は古びない、そう思っていた気がするけどそんなことはない。
古くなった知識は意味がない。自分の害になることもある。
人に教える前に捨てないといけない。
自分が正しい、知っていると信じたくて情報を集めて強化することを、おそらく確証バイアスという。
自分がかつて経験した仕事術、読み込んだ本。それらは当然古くなっている。
けれどネットを漁ったり、都合のいい本を買えば正しさは補強することができる。
本を買うとき、お金を払うのだから自分にとって気持ちいい本を買うはずだ。
そうやって自分の殻にこもってしまう気がする。ときには毒も飲まねばならない。
なんていうか、情報をたくさん集めても正しさにつながることはない。
間違っている情報をたくさん集めて、データが多いから正しいということはできない。
考えれば当たり前なのだけど、本を読むほど賢くなると無意識に考えがちだ。
これもまた心理学的なバイアスな気もする。データが多ければ正しい。
だが、自分の正しさを証明したいために集めたデータは偏っているわけだ。
いくら本棚にたくさん本があっても、偏っていては意味がない。
もう一つは、既得権益というか。
せっかく読んだ本の知識が賞味期限切れになったと信じたくないんだろう。
延命したいと感じているのかもしれない。けど古くなったら古くなったのである。
いつまでもこだわればこだわるほど、意識しない整備維持費がかかる。
世間様にも結局煙たがられることだろう。知らないうちに。
たえず自分を疑い、知識が古くなったことを悟り、新しい知識を手に入れていく。
読んだ本の山にあぐらをかかず、時には捨てる。意固地にならない。
それはかなり難しいよなあと思う。けど反省しないと老害一直線である。
自分も年をとったな…と思う。がむしゃらになにか覚える時間は終わった。
けど、その手に入れた知識のメンテナンス、破棄、新規受入が始まるわけだ。
ちゃんと意識していきたい。