かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

昔の呪いを一つ開放した

 

昔に心の傷を負った。ブログにも書いたかもしれないけど、親切心を拒絶されたことによる傷。自分が身勝手に行った行為をあっさりと断られたこと。数年以上ずっと思い出しては自分が悪かったと思いつつ、恨み節もあった。

心にもずっと残り続けていた。いつか見返したいと思い続けていた。ひどく理不尽に感じられたし、自分に力がないせいだと思っていた。

 

今日、自分の考えの整理をしていたときずっと抱えている悩み・問題はひょっとして自分が間違っているのでは?と思い至った。考えたくないけれど、たぶんそうなのだろう。ひょっとして…を書き出してみると、どんどんすっきりした。

親切心を断った人。まあこれは別に自分と関係性がある人じゃなくて、単なるビジネス的他人である。自分のことを知らない他人だ。自分に力がない、仕事上の信頼がないとかそういうことを考えていたのだけど、今日わかったことがある。

 

いや、単に忙しかっただけだと。

誰が見てもそりゃそうだ。自分がぐちぐち言いたかっただけだ。
人は愚かなのではない。単に忙しいだけである。自分のことで精一杯だし、他人に気を使う余裕なんてない。忙しいとは心を亡くす、なんてよく言う。私生活でいっぱいいっぱいなら、余裕がない。忙しくなる。感情面でも整理がつかないこともある。

ときに暴言も吐いたりするだろう。けど、それは悪意が必ずしも多量に含まれるわけじゃない。理解できないほど愚鈍なわけでもない。

 

ホントに単に仕事できない・忙しい・いっぱいいっぱい。それだけなのだろう。

普通の人は関係ない仕事はしたくない。断るのがデフォルトであって、それは悪意や鈍感だとか、役所的だとか京都人とかなんにも関係ない。全員忙しいのである。めんどくさいのである。

それを力でねじ伏せるとか、有名になるとかそういう解決策を頑張る必要はない。
世の中そんなもんである。人は愚かでもなんでもない。仕事ができないわけでもない。
能力に大きな差はない。それぞれ忙しいだけだ。大なり小なり疲れてるだけだ。

人に気を回す余裕などない。新しいことをやる気もない。
それは枯れてるとか、古臭いとか、保守的とかでもなんでもない。

 

疲れてて、やる気も出なくて、仕事もしたくない。
むしろ逆に元気で、やる気もあって、仕事もばんばんしちゃう人のほうが珍しいのである。すごい。

そういった人が多いと人類みんなこうだったらいいのにな、と思ったりするだろう。
逆の人々を怠惰だとか愚かとか怠け者と蔑みたくなるときもあるだろう。

でも、それこそきっと愚かな考え方だ。人は自分自身で充実して生きようとする。
無駄なことを嫌う。基本的に無理はしたくない。
それが時に無遠慮に見えるし、悪意に見えるし、愚鈍に見える。それだけなのだろう。

 

人の忙しさによる無遠慮かつ酷く感じられる対応に対して、恨み言を持たないようにしたい。いや、忙しいだけなのだ。ホントに。人それぞれ、そんなもんなのだろう。

Never attribute to malice that which is adequately explained by stupidity.
無能で十分説明されることに悪意を見出すな

ハンロンの剃刀 - Wikipedia

無能とまで言わなくていい。単に忙しくて疲れてる人に悪意を見出す必要はない。
勝手に恨んでもいけない。人はそんなもんである。
期待しすぎるほうがよろしくない。

世の中は楽しいことがいっぱいで、やりたいこともいっぱいだ。
世界中にコンテンツがあふれる中で、仕事なんて真面目にやってられないのである。
たぶん、きっとそうだ。