かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

内向的人間は内言が多いので、口数が少なくなる。そして会話は情報量が多いので処理落ちしやすい。

 

内向的人間Part2です。自分の気持ち、体験談を書くのでガンガン書けますね!

 

さて内向的人間はなぜ口数が減るのか、話したくないのか?

そんなことはありません。ただ、脳内での言葉が多すぎるだけかもしれません。

 

内向的人間はなぜ外に出たがらない?会話が嫌いなの?

いやいやそんなことはありません。

もしかすると多大な情報を受け取りすぎてパンクしているかもしれません。

 

なにより会話って意外と恐ろしいものだと思いませんか?

有史以来人を活かしたり殺してきたのは会話だったのかもしれませんよ。

 

お偉いさんなどが「人を見ないと判断できない」とか「顔を合わせて交渉しないとダメだ」というのもある意味正しいのかもしれません。

 

ちなみにこの記事、後半に行けば行くほどグロくなります。ご注意ください。

※画像はないのでご安心ください。論点がエグイだけです。

 

一日に使える単語量は決まっている?

bookstand.webdoku.jp

deltablog01.com

平均単語数が男女で3倍の差があるそうです。

この単語数が尽きてしまうと喋りたくなくなるということになります。

 

さて、内向的人間の場合ほとんど喋らない一日があると思います。

さらに外に出ても、社交的な場でもおそらく平均単語に満たないと思います。

 

なぜなのでしょうか?これは私の持論ですが内言が関係していると思います。

 

外向的人間の場合、もしかすると外言を多用しているのかもしれません。

思考をするため言葉として外に出す、ということです。

外向的な人が「そこまで考えずにしゃべりなよ」とか「深く考えすぎじゃない?」というアドバイスをくれる一端がこれではないかと思います。

 

反対に内向的人間の場合、自分の内側で考えるために、内側で言葉にしています。

これは脳内で言葉がどんどん増殖・反響していくプロセスです。

 

www.pojihiguma.com

 

内向的人間は外向的人間よりも脳内のドーパミンの経路が長いとされています。

このため多量の思考を自分の中で長く反芻することが必要なのです。

 

さて、この内言を多量に使って脳内で会話・思考・論理構築などをするとどうなるか?

間違いなく、一日で使える単語量をガンガン消費します。

つまり内側での思考が長くなればなるほど、外に出てくる単語の量は少なくなります。

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

また、この脳内会話のスピードが極端に早く、単語量が膨大なため外に出すのが億劫になります。

 

そのため外向的人間の「考えすぎじゃない?もっと会話しようよ、社交的になろう?」というアドバイスは残念ながら許容されにくいのです。

 

非常に膨大な脳内会話をしながら、それを一つ一つ外に出すというのはかなり非効率的になってしまうのです。

 

 

友人たちと楽しく過ごした後、家に帰って超絶に落ち込んで反省会になることが非常に多いと思います。

これは会話のスピードに脳内会話を抑えてチューニングしているからであると思います。

このため終了した直後に今までローギアでリミッターをかけていた脳内が一気に爆発し、スーパー反省会が発生すると考えられます。

「どうしてうまく会話できなかったんだろう、ああ言えばよかったのに」

と考えられるのはリミッターがない状態で全力脳内会話が発生したおかげです。

 

そして、会話というのはとんでもないほど情報量が多いのです。

そのため内向的人間は"処理落ち"状態になりやすいのではないか、と考えられます。

 

会話の情報量の多さ、そして恐ろしさ

内向的人間は刺激に弱いとされていますが、正しく言うならば刺激に非常に敏感であるということです。

小さな刺激でも大量の刺激になりがちで、あっというまに脳内が飽和してしまいます。

 

つまり脳内のリソース、余裕が一気になくなります。

このため人との接触が非常に困難になりがちです。

shuchi.php.co.jp

www.ted.com

 

会話ではウソやボディランゲージ、0.25秒ほどで出る微かな表情ですら感じ取ることになってしまいます。

 

またコールドリーディング、ホットリーディングなど高度な会話テクニック、誘導、精神的コントロールを人間は無意識に身に着けていることが多いのです。

 

例えば飲食店で友人と会話をしているとき、ふと友人が時計に目をやったり、椅子に座りなおしたり、出口をちょっと見つめたりしたときは帰りたがってるのかもしれないと考えられるでしょう。

 

例えば友人とどうしても遊びに行きたいとき、「今日はヒマ?」なんて聞くのも心理テクニックの一種でしょう。*1

「ヒマ」と帰ってくれば「予定がないのに断るのは失礼」になるので、承諾させやすいのです。これはフットインザドアテクニックの一種ともいえるでしょう。

先に小さなYesをしたことにより、次の選択にもYesと答えたくなってしまう心理です。

 

会話ではウソをつくときは心理的抵抗が体に出やすく、不快感が増します。

こうしたテクニックを使われて断りづらくなるのも無理はありません。

 

psycho-pass.com

PSYCHO-PASS 9話では雑賀譲二教授のプロファイリングが行われるシーンがありますが、微表情を読み取り、バーナム効果も交えて巧みに信用を勝ち取ります。

 

 

こうした会話、サインなどを読み取りつつ、相手の思考を誘導したり環境を整えることで故意のミスを誘ったりすることもできます。

 

docs.google.com

blog.livedoor.jp

あまり例には出したくないほど冷酷・残忍な事件ですが、犯人・事件の特徴として非常に恐ろしいのが以下です。

 

なにより、元警察官という完全な正義漢ですら、マインドコントールの末に自分の家族を自らの手で殺すよう仕向けてしまうのです。

 

一般に殺人・自殺に対する心理的障壁は極めつけに高いのですが、慢性的な精神の束縛、圧力によってその障壁を壊しにかかるのです。

学習的無力感の醸成なども作り出すことに長けていたようです。

【事件の概要】

監禁された家族がマインドコントロールされ、子供も含め家族で殺し合いをするようになる世界的にも残酷な事件。

【性格・表の顔】

・表の顔は人当たりが良く、口が達者である(中学一年生で上級生を抑え校内弁論大会優勝)

・流暢にウソを創作できる才能がある。

・行動力があり、自信に満ち溢れ、リーダー的な存在。中学、高校と取りまきを作り、手下に犯罪をさせている。この時から自分の手は汚さない

・親しくなると、悩みを聞くふりをして徐々に相手の弱みを聞き出す能力がある。そして相手の弱点を握る。

ワールド経営の頃、複数の女性と付き合っていたが、女性は松永の印象を「悪いことをするような人ではなかった。紳士的で会話上手で信頼できる誠実な人」と語る。

 

【性格・裏の顔】

・裏の顔は鬼畜。モンスター。金銭欲が強く、冷酷で残虐。支配欲が強い。支配した人は奴隷以下の待遇にしても心が痛まない。そのための心理学を独学

 

こうしたサイコパスのマインドコントロール技術は一般人にとって回避不可能です

言わば 天才的スリ vs 一般人 in 満員列車 というようなものです。

 

どれだけがんばってもプロからすれば格好の獲物でしかありません。

自分は"絶対"大丈夫と信じる人間ほどかかりやすいというジレンマもあるためです。*2

 

つい先日も清水さんが出家してしまいましたが…こういった側面もあると思います。

nlab.itmedia.co.jp

 

「会話したほうが楽」とか「顔を合わせないと信用できない」などというセールスマンや社長などはこういった思考誘導や判断をするためなのかもしれません。

もしかすると外向的人間はこうした能力を備えて現代の荒波を駆けてゆくのかもしれません。

 

ともかく内向的人間にとって、会話とは非常に情報量も膨大であり精神力を多量に削られるものなのです。

 

反面、SNS、チャット、文字といったものは情報量、刺激が少ないため内向的人間にとって心地よいものになります。

 

現代のコミュニケーション力を必要とする風潮について

企業がもてはやしているコミュニケーション力ですが、上記のような心理テクニックを過分に用いたサイコパスを求めているということでしょうか?

あらゆる人間を支配下に置ける、心の隙間に入り込み自らの利益を獲得できる人間を欲しがるのでしょうか?

 

…かなり嫌らしい文章ですね。ただ、利益や潤滑なんてことを追い求めすぎると逆に人間性を喪失しているようにも見えます。

 

ここまでコミュニケーションに傾注しているのは恐らく責任を人になすりつけたりするために思えます。

責任の分散や空気を読むなんていう組織への順応を求めているからでしょう。

 

こうした日本的企業風土になじめないとイジメにあってしまうのかもしれません。

…いいすぎですね。ちょっと極論でネガティブですが…。

 

ただこの極論にも一定の意味はあります。それは、コミュニケーションの果てには何があるのか?ということ。

 

完璧なコミュニケーションとは?

一つの答えとして、完全に人間の心理を操り、支配下において、要求をのませられるスキルのことなのかもしれません。

 

もちろん"善"のコミュニケーションもあります。アイディアを出して、協業し、互いを心理的安全に保つ。

 

しかしどうも、企業や日本が出している風潮でコミュニケーションと積極的に言っている意味は、ちょっと黒いような気もしてなりません。

 

会話をすることは大事かもしれません。コミュニケーションは大事かもしれません。

 

ですがその恐ろしさや、人をちょっと操ろうとする精神があるのでは?と警戒する気持ちを持っていて苦手意識がある人間もいる…のかもしれません。

 

そうした人間にコミュニケーション力が~と説教するのは、ちょっとなあ、と思わないでもないです。

 

まとめ

内向的人間にとって一日で使える言葉は内言によって消費される分もあると思います。

 

また会話というのはそもそも情報量が圧倒的に膨大であり、そのうえに思考誘導やマインドコントロールを無意識に互いにしてしまう部分があります。

 

このため脳内のリソース、余裕があっという間に枯渇し、家に帰った後ほっとして緊張が解けたところで反芻して反省できるのではないかと思います。

 

 

さて、後半はもんのすごいブラックになってしまいました…。濃いね、闇が。

かなりの極論ですが、まあ水で薄めてほどほどに飲むぐらいがちょうどいいと思います。

 

こういう考えもあるよね、くらいで。

ちょっとした疑問の提示だと思っていただけたら幸いです。

*1:内向的人間を恐怖のどん底に陥れるよくある質問である

*2:麻薬の啓発ポスターに”絶対大丈夫”じゃなく”かもしれない”と思って注意しようとある。交通安全も”かもしれない”が大切