かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

一芸に秀でた人たちが非日常を記録したものに感動する

 

小説家になろうでよく読むジャンル、というか唯一読んでるジャンルは「エッセイ」。なんていうか、書き口が洗練されている。そして書き手も読み手もなんだか肥えている。それでいてブログよりも荒れているようには見えないし、そこまで苛烈な書き口が多くない。

 

そしてもれなく全員が読書家であることは間違いない。だからこそ「エッセイ」ジャンルは読書家に向けて書かれているものや小説家あるあるなどが書かれていて非常に面白い。特に気に入っているのは「脳味噌が物理的にぶっ壊れるとこうなるよエッセイ」です。

ncode.syosetu.com

このエッセイの面白さは書き手が小説家であるということに尽きる。主治医に見せるつもりで手記としてまとめていたとのことですが、もうこれだけでフィクション作品のような素晴らしくまとまりきった物語として成立してしまっています。こちらをぐいぐいと読み込ませる魅力に満ちています。映画「ジャッカル」に対して抱いた感想についてあまりにも冷めているような感想を述べているところが、小説家然としていると思うのです。

先生がおっしゃった『子供のように柔軟性を失った感受性』という状態を体験出来たのはむしろ運が良かったのかもしれないと楽観的に捉えることも出来ていますし、ジャッカルに対して怖い物見たさを感じはじめてもいます。
 しかし実際にインターネットで問題のシーンの一部を切り取った画像を見たところ、それだけで当日に感じた『嫌な予感』を含む気持ちの悪さが蘇ってきました。トラウマというのは根深いものなんだなと驚きを感じました。

「体験できたのは運がよかったのかもしれない」「怖いもの見たさ」「トラウマというのは根深いものなんだなと驚き」…ここまで自分の心情を細かく見れるものでしょうか。小説家というのは人間心理について書くのが仕事な部分もあって、自然と自分自身の心の傷の観察にも活かされている、というのはなんともいえないものです。

 

ちなみに該当シーンが気になってNetflixで視聴しました。映像で見ると確かに著者の心の動きに納得できます。これがもしも自分が心を病んでいたとしたら、もしかするとそう感じてしまうかもしれない。改めてこのエッセイの文章力というものに驚嘆しました。

 

これと似た話で非常に好きだったのが研究者の人の自分がどうなっていったのかという体験談。

ibaibabaibai-h.hatenablog.com

まったくもって驚くことに本人にとって素晴らしく冷静に、そしてまったく同じことを繰り返していることに気づけない、というのがすごすぎます。

そのあとどうしたか.まず「これは低血糖による意識障害かもしれない」と自己診断して,とりあえずミスドに入ってドーナツとコーヒーを注文した.なんたる冷静沈着と自分でも思うが,翌日ポケットから,ドーナツの領収書が2枚出てきた.冷静沈着でも記憶に書きこめないので,まったく同じ思考プロセスを繰り返してドーナツを2度食べたわけだ.

こういった話は「博士の愛した数式」だったり「メメント」で有名かもしれません。ですが自分のことをここまで客観かつ冷静に体験談としてまとめられているのはあまりにも貴重です。

まあ行動力があるというか、学者としての好奇心を抑えきれず自分自身で論文のコピーを握りしめてMRIをどうしても撮りたいというのが変態チックである。

そんなことを頼んでいいのかわからなかったが,検査前に技師さんに論文を見せて「この論文の条件(3テスラ、2~3mmのスライス、高b値)で撮像してください」といってみた.「20分間,絶対に動かないでください」とのこと.読影は遠隔のセンターでやるのだが,そこにもファックスで論文を送ってくれた.

かくして,ほとんど奇跡的に発症後62時間のゴールデンタイムに撮像できた.終わってから技師さんが「なんか出ているようですよ」と言っていたが,それ以上は先生でないと聞いてはいけないので我慢した.うっすらなにか光っているのかなあ,と思った.

(中略)

やったああ!と思ったが,よく考えると自分の脳が壊れているのでマズイような.しかし,予後良好らしいということもあって,ついつい文献の結果が再現できた喜びに浸ってしまうのであった.

なんていうか、自分の症状を自分でこれだろうということを調査して、本当にあっているのかを自分で確かめるために奔走するという…まあ学者の鏡とも言えるのかもしれないが無茶しないでください先生と呆れたくなる気持ちもある。

 

これらともう一つ似ているのがアルツハイマーになった画家の話。

karapaia.com

だんだんと自我が崩壊していく様を自分の絵によって表現し続ける。その苦しみはまったく想像できないほどのものでしょう。ですがそれをほんの少しでも絵という媒体から感じ取ることができます。

 

おわりに

何かしらの芸をおさめた人々が非日常に遭遇した際に、自分の持てるスキルをもって何かを表現しようとするというのが素敵に思えます。それは誰にでもできることではないし、なんだかエネルギーに満ちているように感じます。

 

あまりにも非日常的で一般の人々では太刀打ちできないような怪異に対して、己が武器で決死の覚悟で飛び込んでいくようなそんな精神に憧れます。表現に優れた人間というのは、そういった不確かなものや他者が想像できないようなものに対して、果敢に挑んでいくものなのかもしれません。